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NOVEL

泡沫の夢路の先に 

14,113文字/1p

 

実琴/琴ノ音いろは

1814恋人未満。夢の中で2人がおでかけするお話です。 主催のちゃわ様、素敵な企画に参加させて頂きありがとうございました!とっても楽しかったです!

『_攘夷浪士によるバイオテロから一週間が経ちました。ご覧ください。人に溢れ、活気付いていたかぶき町は今や世紀末のごとく静まり返っています』

 

テレビの向こうでは防護服を身に纏った花野アナが神妙な面持ちで街の様子をリポートしている。事の発端は一週間前。攘夷浪士によってばら撒かれたウイルスXが江戸全域に広まったのが始まりだった。強大な感染力を持って次々と増える感染者。これを受け幕府は不要不急の外出禁止令を下したのだった。

 

毎日飽きるほど繰り返される専門家達の特番ニュース。積み上げられた食器に衣類。散らかったままのお菓子の袋。外出禁止になってから新八は万事屋へ来ていない為、部屋は無法地帯と化していた。

 

「銀ちゃん、いつになったら出かけられるアルか」

「さぁな。あ、お前一回触ったやつは引けよ」

「私の直感がそっちはババだって言ってるから嫌アル…うげ」

「だから引けって言ったのに」

 

手札に仲間入りしたピエロに顔を顰める。してやったりとほくそ笑む銀時をじとりと睨んで、トランプを宙へとばら撒き後ろへ倒れこんだ。

 

「やめやめ!やっぱり2人でやるババ抜きは面白くないネ」

「オイオイせっかく付き合ってやったのにそれはないんじゃねーの?ったくこれだからガキは」

 

銀時はブツブツ不満を漏らしながら、読みすぎてクタクタになった先週号のジャンプを手に取り社長椅子に腰掛けた。

 

「ねぇ銀ちゃん、いつになったら外で遊べるアルか?退屈すぎて干からびそうヨ」

「お前はまだ定春の散歩で外出てんだからいいだろうが。俺なんてここ最近パチ屋にも飲みにも行けてねぇんだぞ?いい加減ストレスでハゲそうだわ」

「散歩じゃ友達と遊べないし寄り道もできないんだもん。もっと外で思いっきり遊びたいネ。体動かしたいし友達とおしゃべりしたいアル。ねー銀ちゃん何とかしてヨー!」

「そんなに体動かしたきゃそこのゴミやらなんやら掃除すればいいと思いまーす」

「そういう事じゃないアル!遊びたいアル遊びたいアル遊びたいアルー!」

 

手足をバタバタさせて主張しても銀時はそれっきりジャンプの世界へと旅立ってしまった。何度も読んで展開など見飽きているだろうに、相手をするのが面倒になって読むフリに勤しんでいることは明白だ。

 

トランプも人生ゲームもジェンガもあっち向いてホイも、家の中でできる暇つぶしは全てやり尽くした。万年金欠の万事屋では流行りのゲームも買えやしないから、暇つぶしのレパートリーもいい加減尽きてしまった。元来じっとしていられない性分の神楽は、家の中に籠っているのもそろそろ限界だ。

 

「…つまんないアル」

「そういう時は寝ちまえ。寝て起きて飯食って寝たらあっという間に時間過ぎるぞ。暇だと思う暇もなくなるから」

 

そう言ってジャンプを顔に乗せ寝る体制に入った銀時。隣では鼻ちょうちんを膨らませ、スピスピと寝息を立てる定春。いつのまにやらTVは消され、静まりかえった部屋の中にはカチコチと時を刻む音だけが響いている。

仕方なく定春の身体に身を寄せ目を閉じると、窓から差し込む穏やかな日差しが瞼の裏からも窺い知れた。

 

(外、いい天気アル。せっかくのお出かけ日和なのに勿体ないネ。桜ももう散っちゃったカナ。今年はお花見、出来なかったアル)

 

次第に思考が鈍くなり、カクンと頭が揺れ始める。

 

(お花見…今年こそアイツと決着つけようと思ってたのに…命拾いしたなクソサド野郎)

 

今年こそはと息巻いていたから、奴の悔しがる顔を見れないのは実に惜しかった。桜を見ることよりも、真選組の豪華な花見弁当よりも、それが何より口惜しい。

 

(…仕方ない…勝負は、来年に持ち越し…ネ)

 

麗かな日差しと定春のぬくもりに包まれて、神楽の意識は深い眠りの底に引き摺り込まれていった。

 

***

 

瞼に何かが触れた気がした。

擽ったくて目を開くと、薄桃色の空からひらりひらりと雨が散る。

 

「桜…?」

 

夢うつつのままぼんやり呟いた神楽は、瞬きをゆっくり3度繰り返してから体を起こした。額の上から桜が散って、膝の上に淡い影を作る。ふと、気配を感じた。ゆっくりと隣に目を向けると、携帯を空へ翳す沖田がそこにいた。

 

「…お前何してるネ」

「見たらわかんだろ。桜撮ってる」

「そうじゃなくて、なんでお前がここにいるのかって聞いてるネ」

「知らね。気付いたら隣でメスゴリラがぐーすか寝てたんでィ」

「オイ誰がメスゴリラアルか。ブチ殺したろかクソガキ」

「そういうテメーこそ何でここにいるんでィ」

「はぁ?私は万事屋で昼寝してて…」

 

そう、さっきまで万事屋に居たはずなのだ。辺りを見渡しても銀時や定春の姿はない。それどころか万事屋ではない屋外に神楽はいた。しかも隣にはあの憎き天敵が優雅に写真を撮っているではないか。必死に記憶を呼び起こしてもなぜ自分がこんな所にいるのか全く思い出せない。

 

「…分かんないアル」

「ふーん。まぁ別にいいけど」

 

神楽の返答に素っ気なく答えた沖田は、再び携帯を桜へ向けた。カシャ、という軽快な電子音のあと、小さな枠の中に切り取られた桜を満足そうに見つめている。はらはらと舞う花びらが沖田の髪に降り積もっていく様をこっそり見つめる。陽に透ける栗色と薄桃色のコントラストに、不覚にも目を奪われた。

 

「で、どーする?」

「え?」

 

不意に呼びかけられてハッとする。

慌てて沖田に焦点を合わせると、吸い込まれそうな紅と目があった。

 

「去年の決着、つけるか」

 

沖田はいつの間にかヘルメットを被り、ピコピコハンマーを握って挑発的に笑っていた。いつのまにとか、お前だけズルイとか、そんな文句が一瞬頭を過ぎったが、それ以上の高揚感が胸を占め自然と口角が上がっていく。

 

「望むところアル!」

 

桜舞い散る昼下がり。

桜並木を沖田と2人駆け抜ける。ピコピコハンマーは早々に投げ捨て素手と素手で闘り合った。至近距離で交わした瞳の奥で、心底勝負を楽しむ自分の姿が映し出される。こうして身体を動かすのは随分久しぶりでもっと身体が鈍っていると思っていたが、それを感じさせない身のこなしで沖田の攻撃をヒラリと躱す。それでも時々避けきれず拳が身体にヒットしたが、不思議なことに痛みは全く感じなかった。

 

(あ、そっか。これ夢だ)

 

そもそも外に出た記憶がない時点でおかしかった。そして何より、本気の沖田と闘り合って痛みどころか傷一つつかないのはあり得ない。勝負が引き分けで終わり、休憩と称して幹に身体を預けたところで神楽は漸く今の状況を理解した。そして、夢とはいえ外で第三者と思いっきり身体を動かしたおかげで、ここ最近の陰鬱とした気分がすぅっと晴れていく。

 

「うーんやっぱり外は気持ちいいアル」

「ま、夢だけどな」

「なんだ、お前も気付いてたアルか?」

「たりめぇでィ。テメーと闘り合って無傷な訳ねぇだろ」

「あ……そう…」

 

まさか同じ理由で気付かれていたとは思わなくて、つい歯切れ悪く返してしまったが沖田は然して気にしてないのかそれには触れてこなかった。2人の間に沈黙が訪れる。いつもなら喧嘩した後は何事もなかったかのようにさっさと帰路につくのだが、何故か今日はお互い動こうとしない。

 

(アレ?何で私コイツとまったりお花見してるアルか)

 

桜の雨を見つめながらふと思う。

これまで沖田と喧嘩以外で二人っきりになったことがない神楽には、場を持たせるような他愛無い会話など思いつくはずも無く、ただただ時間だけが過ぎていった。

チラリと横目で隣を伺うと、沖田は何を考えているのか分からない無表情で桜を見上げている。

 

「なぁ、桜の下に死体が埋まってるって都市伝説知ってるかィ」

「…オイ。よりによって今言うことかヨ」

 

漸く喋ったかと思えばなんと物騒な事を言い出すのだ。じとりと睨み上げるも、当の本人はどこ吹く風で桜の花弁を摘んでいる。

 

「桜の中でも色の濃いやつがあるだろィ?その手の桜は、死体の血を吸って白い花が紅く色付いたとか言われてるらしいぜィ…ほら、ちょうどこの桜みてェに」

「オイ止めろヨ!せっかくの花見が台無しネ!まさかここか!?この下に埋まってるとでも言いたいアルか!?」

「まさか。俺ァそういう噂があるんだって世間話をしただけでィ」

「黙れ確信犯。最悪アル…これから綺麗な桜見ても死体がチラついて楽しめないだローが。責任取れバッキャロー!」

「責任ねェ…」

 

不意に、桜を見つめていた瞳がこちらを見た。沖田はゆっくりと手をあげると神楽に向かって伸ばしてくる。何をするつもりなのかと警戒していると指先が頬を掠め、その先の髪にそっと触れた。

 

「それって嫁の貰い手の責任ってやつ?」

「…はぁ!?誰がそんなこと言ったネ!」

「女と男の責任っつたらそれしかないだろィ」

「お前の常識を押しつけんじゃねーアル。マジキモいアル近付かないで」

「どうせ夢なら祝言の一つや二つ大した問題じゃねぇだろィ」

「お前が相手なのが問題なんだヨ」

「つれないねェ」

 

どこまで本気なのか、そもそもただの冗談なのか見極めがつかない。9割9分後者ではあるだろうが、それにしては向けられたあの瞳の熱に説明がつかない気がした。

 

「じゃあこういうのはどうでィ」

「え?…ぅわっぷ!」

 

沖田が手をパンと叩いた瞬間、まるでコントのように大量の花弁が神楽の上に降り注いだ。あっという間に桜に埋もれた神楽は、なんとか這い出て息を確保する。

 

「テメー何しやがるネ!」

「夢って便利だよなぁ。想像した通りの現象が起きちまうんだから」

「…お前何がしたいアルか。これのどこが責任?詫びるつもり一切ないダロ」

「そうカリカリすんなや」

「誰のせいだと思ってるネ!」

「ま、ま。ほらこれ見てみろィ」

「…?何だヨ。桜がどうかしたネ」

 

沖田は神楽に積もった桜の花弁を一枚手に取ると神楽の目の前に翳した。

 

「例えばこの桜が血を吸った桜だとするだろ」

「まだ言うのかヨ」

「いいから聞け。この桜単体で見ると色は濃く見えるが、こうやって…」

 

沖田はそう言って山盛りになっている花弁を掬うと神楽の上から花吹雪を散らした。

 

「チャイナの頭と比べるとあんなに濃かった色が薄く見えらァ」

「つまり何が言いたいアルか」

「例えこの桜が血に塗れた色だろうと、テメーはそれを感じさせねェ女だってことだ」

「…よく分かんないアル。それ褒めてるアルか?貶してるアルか?」

「さぁ?テメーの好きに捉えれば?」

 

沖田は神楽の髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜて降り積もった桜の花弁を払った。せっかく綺麗に纏めてあった髪が台無しだとその手を払う。しかし見上げた先の、漸く離れた掌の隙間から見えた光景に息を飲む。

 

沖田はまるで愛しいものでも見つめるように目を細め、柔らかい笑みを浮かべていた。これまで見てきた不敵な笑みやカンに触る笑みとは違う、初めて向けられる種類の笑顔に思わず体が固まった。しかし、そんな笑顔は一瞬で消え、いつものポーカーフェイスに切り替わっていた。

 

(…何アルか、今の)

 

あの笑顔を見た瞬間、確かに時が止まった。鼓動が早い。勝負が終わってもう随分と時間が経っているというのに、この心臓は未だに全速力で走ったあとのようにドクドクと音を立てている。

 

(何アルか…これ)

 

胸に手を当て己に問いかけるも、答えは返ってこなかった。

 

___ら、…ぐら…

 

「…銀ちゃん?」

 

どこからか銀時の声がする。

その瞬間、身体を押されるような強い風が吹き荒れて桜の花弁が竜巻の如く舞い上がった。花弁の壁の向こうから「…時間だな」という沖田の小さな呟きが聞こえた気がした。

 

「なぁ、チャイナ。明日はどこに行きたい?」

「明日?」

「家から出られなくて毎日暇なんだろィ?お巡りさんが特別に何処にでも連れて行ってやらァ」

「でも、外に出たらダメだってニュースで言ってたアル」

「忘れたのかィ?ここが何処なのか」

 

世界がぐにゃりと歪み、沖田の姿が遠のいていく。体が何かに引きずられるように後ろに引っ張られて咄嗟に手を伸ばすが、沖田は笑みを浮かべるだけだった。

 

「…ッオイ!」

「じゃあなチャイナ、また明日。行きたいところ考えとけよ」

 

その言葉を最後に、神楽の意識は遠のいていった。

 

***


 

「おーい神楽ァ。いい加減起きろー」

「…ぎ、んちゃん?クソサドは…」

「まだ寝ぼけてんのか?ほら、さっさと起きろ。晩飯出来てんぞ」

 

ペシンと肩を叩かれて覚醒する。

見渡した先はいつもの万事屋だ。眠りに落ちる前は定春のお腹に寄りかかっていたのだが、いつのまにかソファーの上でブランケットを掛けられていた。どうやら銀時が移動させてくれたらしい。

 

それにしても変な夢だった。

天敵である沖田と花見をして世間話のようなものをしていた気がする。そして胸の奥にはあの時感じた違和感がまだ残っているような。胸焼けのようなモヤモヤが気になってスリスリと胸を撫でるが、銀時が出来上がった夕飯を運んできたところでそんな思いは遥か彼方に消え失せた。

 

「いただきまーす」

「はいよ。それにしてもよく寝てたな。半日以上経ってんぞ」

「そう?寝る子は育つって言うダロ。まだまだ成長中な証ネ。銀ちゃんおかわり」

「…それ以上成長されても困るんだけど。食う量が増えるだけな気がするんですけど」

 

茶碗に山のように盛られた白米をペシペシ叩きながら銀時はげっそりと呟いた。しかしそんな呟きは、別のことを考えていた神楽には届いていなかった。

 

(そういえばアイツ…明日がどうとか言ってたナ)

 

私の夢の中に突然現れたアイツ。

夢は深層心理が反映されると聞いた事がある。眠る直前、花見での決着を付けたかったと想像していたから現れたのだと思っていた。では明日の約束を取り付けてきたアイツは一体誰の偶像だ。

 

「…別に。遊べるなら誰でも良かっただけアル」

 

決して沖田と共におでかけがしたかった訳じゃないと、白米と共にその考えを飲み込んだ。

 

***

 

「よぉ、どこに行くか決めてきたかィ」

 

いつもの公園、いつものベンチ。気付けば沖田が隣に座っていた。

 

「これも夢アルか?」

「ご名答。じゃなきゃこのご時世悠々と外に出られるわけねぇだろィ」

「それもそうアルな」

「で、決まったかィ?」

「んー。全然決めてなかったけどそうだナ……じゃあ、海に行きたいアル」

「海ね」

 

パン、と沖田の手が鳴った次の瞬間、目の前には海が広がっていた。潮風が髪を撫で、波の音がさざめいている。真っ青な海と水平線の向こうに立ち昇る大きな入道雲。太陽に反射した水面が目に眩しかった。

 

「海アル!!キャッホーイ!」

 

靴を脱ぎ捨て海に駆け寄る。引いては寄せる波に足首が浸かり、その冷たさに神楽のテンションは更に上がった。

 

「わ、冷たいアル!本当に海に入ってるみたいネ」

「そりゃ良かったな」

「お前も入らないアルか?」

「俺ァいいわ」

「ふーん」

 

せっかく海に来たのに勿体ない。

しかし神楽の興味は沖田よりも目の前の海のほうが優っていた。チャイナ服の裾を太腿までたくし上げ、どんどん深くまで海に入っていくも、時々大きく跳ね返った飛沫で裾が濡れて煩わしい。

 

「あーあ、水着持ってくればよかったアル」

「別にそのままでも良くね?」

「そんなことしたら新八に怒られちゃうアル。誰が洗濯すると思ってるんだって雷が落ちて面倒ネ」

「夢なんだから怒られるわけねぇだろィ」

「あ、そっか」

 

あまりにリアルな水の感触にすっかり忘れていた。そうか、ここは夢の中なのだ。

そうと分かれば躊躇など無意味というもの。裾を握っていた手を離し思いっきり海にダイブする。夢の中だからか、日差しを浴びてもちっとも苦しくない。それでも太陽の熱を感じられるのだから不思議なものだ。夏のような暑さが海の冷たさで緩和されていく。日差しを気にすることなく泳ぐ海は、生まれて初めての経験だった。

 

「気持ちいいアル〜!お前も来ればいいのに」

「服のまま海入るのとか勘弁」

「人に勧めといて自分は嫌なのかヨ」

 

顔の前でバッテンを作り断固拒否の姿勢を見せる沖田を白い眼で見つめる。嫌がられると逆にさせたくなるというのがドS魂。

神楽はいい事を思いついたとほくそ笑むと、それまで波に任せていた身体を思いっきりバタつかせた。

 

「うっ…!足が…!痛い痛い痛いいいい!!!!」

「何それ新種の遊び?」

「これの何処が遊びじゃボケ!!足攣ったんだヨ!痛い痛いこれマジで死ぬ!このままじゃ溺れ死ぬ!!助けろクソサド!」

「んな大根演技に誰が騙されるかってんだ。テメーの考えはお見通しでィ」

「誰の演技が大根……あ、ヤバイ。これマジでヤバイ。本当に攣ってきた。待ってガチでヤバ……ッぐ」

「…チャイナ?」

 

先程までの馬鹿騒ぎはなりを鎮め、あんなに上がっていた水飛沫はしん、と静まり返っていた。神楽がいた筈の場所からはコポコポと泡が吹き出し、そこに彼女の姿はない。

 

「チャイナ!」

 

考える暇もなく、ジャケットを脱ぎ捨て海に飛び込んだ。神楽のいた場所まで泳ぐと、息を目一杯吸い込んで潜る。目に染みる海水を堪えて必死に当たりを見渡すと、海の底に力なく沈んでいる神楽を見つけた。慌てて引っ張り上げ海面から顔を出すと、神楽の青白い頬をペチペチと叩いて必死に呼びかける。

 

「オイ!チャイナ!しっかりしろ!」

「……ぅ」

「チャイナ!」

「……プッ!ぎゃははは!騙されてやんのー!!バーカバーカこの神楽様が溺れる訳なグボォォォ!!!」

 

高笑いを上げる神楽の頭を掴んで海に沈めた。バタバタと手が暴れて水面を叩くが離してやるつもりは毛頭ない。

 

「テメーふざけんじゃねぇぞゴラ」

「もがもが…!ゴボボ…!!!ッ!?」

「どうせ夢だしな。いっぺん死んどくか」

「ブッハァ!!!てんめー!!何しやがるネ!」

「そりゃあこっちの台詞でィ!」

「フン!海なんて興味ありません〜みたいな顔でお高く止まってたから海に引き摺り込んでやっただけネ。プッ!びしょ濡れチワワの完成ネ。水も滴るクソチワワアル良かったナ」

「ほーぅ。そりゃ礼をしなくちゃいけねぇなァ…覚悟しやがれクソチャイナ!!」

「望むところアル!」

 

そこからは子供のような水の掛け合い…ではなく、互いに海に沈めようと(物理的な)足の引っ張り合いが始まった。激しく繰り広げられる攻防戦は互いに譲る事なく、太陽が西日に変わる頃まで続いたという。

 

「銀ちゃん私もう寝るネ。おやすみヨ〜」

「おー…」

 

いそいそと押し入れに引っ込んでいった神楽をジャンプの隙間から覗き見る。チラリと見上げた時計は午後19時を示していた。

以前から良質な睡眠は美容のなんちゃらと謳っていた神楽は元々寝るのも早い方だったが、それにしてもこの時間は異常ではなかろうか。最近暇があればやたらと昼寝をするようになった神楽。初めの頃は、口煩い構って攻撃が無くなって穏やかな引きこもりライフを楽しんでいたものだが、近頃の起きている時間より寝ている時間が極端に増えた現状は流石に見逃せない。

 

『_ここからはウイルスXについておさらいしていきます。このウイルスに感染した場合、まず最初に現れる症状として睡眠時間が急激に増えます。初期は寝坊や倦怠感で済んでいたものが徐々に昼間も起きていられなくなっていくのです。それはウイルスが脳内の神経を刺激して、感染者に都合の良い夢を見せているからだと研究結果で分かっています。夢に囚われた感染者は最終段階で目覚めることができなくなり、身体は徐々に衰弱、最悪の場合死に至る非常に恐ろしいウイルスです。このような症状がみられましたら直ちにこちらのコールセンターまでご相談下さい。早期発見がこの病気の…』

 

「…まさか、な」

 

銀時はテレビ画面いっぱいに表示されているコールセンターの番号を見つめながら、小さく呟くのだった。

 

***

 

「早く早く!次アレに乗るアル」

「…マジか」

 

沖田は神楽の指し示したジェットコースターを見上げ顔を青くした。

 

「…なぁチャイナ腹空かねェ?飯奢ってやろうか」

「ご飯はさっき食べたダロ。お腹いっぱいだから別にいいアル」

「そう食後…食後なんでィ。この状態であんなもん乗ったら食べたもん全部吐き散らかしちまわァ」

「何ブツブツ言ってるアルか。ほら!早く行くヨ!」

 

想像だけで吐き気を催したのか口元を押さえ脂汗を浮かべる沖田。そんな様子に気付きもしない神楽は意気揚々と腕を引っ張り目的地へと急いだ。

 

愉快な音楽が流れる遊園地には客どころかスタッフすら見当たらない。そんな貸し切り状態の遊園地はアトラクションも当然乗り放題で、神楽の気分は過去最高潮であった。

 

「ヒャッホーーイ!さいっこうアルー!」

「………ぅっぷ」

 

複雑に回転するジェットコースターに歓声を上げ、手放しで喜ぶ神楽とは対極的に吐き気と戦う沖田は心の中で「早く終われ早く終われ…」と必死に祈りを捧げていた。

 

こうして夢の中で沖田と出かけるようになってどれくらいになるだろうか。あの日の海に始まり、動物園、水族館、ドライブに宇宙旅行まで思いつくものは片っ端から試した。行けるところはどうやら一回の睡眠につき一箇所までのようで、この夢旅行に出かけるために時間の許す限り寝床に着いた。

 

最初はいがみ合い喧嘩ばかりだった沖田ともなんだかんだで馬が合い、今では神楽の体力についてこられる唯一の人間として認めていた。現実世界では知ることのなかった沖田の少年らしい一面や弱点も、神楽にとってはむしろ好印象で徐々に心を開いていく要因となった。そして、思う存分遊べるこの世界にますます夢中になっていくのだった。

 

夢の中ならこの楽しい時間が永遠に続く。厳しい現実も煩わしいルールも存在しない。私の…いや、私達の思う通りに世界が回る。こんな素晴らしい世界があったなんて。

 

「沖田、大丈夫アルか?」

「…無理。ちょっと休ませて」

「しょうがないアルなぁ…」

 

顔色の悪い沖田の背中を優しく摩りながら、しょうがない奴だと笑う。沖田が落ち着いたら次は観覧車へ行こう。あれなら絶叫系が苦手な沖田でも楽しむことができるだろうから。

 

_神楽は気付いていなかった。この泡沫の世界の闇に、既に取り込まれていることを。

 

***

 

『__っえ?神楽ちゃんが目覚めない?』

「あぁ…もうじき日も暮れるっつーのによ」

 

電話の向こうから新八の息を飲む音が聞こえた。

 

『銀さんそれって…ウイルスXなんじゃ』

「だろうな」

『そんな!こうしちゃいられない、早く病院に連れて行かなきゃ…!』

「いや、無理だ」

『どうして!ニュースでも早期発見がって…』

「俺も、昼に目覚めない時点で病院に連絡したさ。だが、夜兎だって伝えた途端ウチじゃ対応できないって断られてな」

『そんな…!』

 

和室に敷いた布団で横になる神楽を見つめる。その顔は終始穏やかで、死に至る病気に感染しているようには到底思えなかった。

定春が心配そうに神楽を見つめているが、感染予防のため近寄れず、ソワソワと落ち着きがない。

 

『じゃあ…どうすればいいんですか。このまま神楽ちゃんを見殺しにするんですか!?』

「落ち着けぱっつぁん。そんなことする訳ねぇだろ。夜兎のことは夜兎に聞け、だ。坂本に連絡して陸奥に色々聞いといた」

『!それで!どうだったんですか!?』

 

『_そうか、地球では今そいつが流行っちょるんか。あれはかなり手強い病じゃったからのぅ』

「…!お前…まさか罹った事があんのか」

『あぁ…夜兎に普通の解毒薬は効かん。しかし回復する術が無いわけではない。その方法は…』

 

「夢の中の依存対象から引き離すこと」

『…ど、どういうことですか?』

「つまり、神楽は今現実世界に戻ることを躊躇うくらい夢の世界に夢中になってんだ。それが食べ物なのか人なのか、はたまた過去の思い出かは知らねェ。だが、その依存対象から脱却して現実に戻りたいと本人が強く願う事が、夢から醒める唯一の方法だ」

『それ…は、かなり…厳しくないですか?神楽ちゃんが何の夢を見てるのかなんて僕たちには分かりっこないし、まして夢から引き戻すなんて…』

「…いや、心当たりは一個だけある」

『本当ですか銀さん!』

「あぁ、神楽が前にうたた寝してたときにな。呼んだんだよ、アイツを」

『…アイツ?』

 

__ぎ、んちゃん?クソサドは…

 

「神楽がクソサドなんて呼ぶのは世界でただ1人しかいねぇだろ」

 

***

 

「わぁ…高いアル!」

 

透明なゴンドラの中から見下ろす街並みはまるでミニチュア模型のようだ。沖田の体調が回復したところで観覧車へと誘ったのだがその際沖田は「え…チャイナお前…いいの?」と何か期待に満ち溢れた瞳をしていた。その真意が掴めず内心首を傾げるが、恐らく沖田は無類の観覧車好きなのだろうという答えを導き出した。

 

「なぁチャイナ」

「ん?何アルか?」

「そっち行ってもいいかィ?進行方向見てるとまた酔っちまいそうで」

「大丈夫かヨ?そういうことなら場所変わって…」

「いや、そのままでいい」

 

沖田は神楽の言葉を遮るとゆっくりと立ち上がる。この狭い室内では向かいの席に移動するのに一歩で事足りた。あっという間にストンと隣に腰掛けた沖田に、妙な緊張感が走る。

 

(な、なんか…近くネ?)

 

肩が触れ合う程の距離にドキドキと心臓が早鐘を打つ。沖田からは隣に座ってから何故かずっと視線を感じるし、かと言ってそちらを向くのは躊躇われて外の景色に釘付けなフリをして必死にその視線から逃れる。

 

「わ、わぁ…夕陽が綺麗ネ!ほら、お前も見てみろヨ!」

「おー、ありゃ絶景だなァ」

 

(いや、ぜんっぜん夕陽見てないダロお前!!!)

 

窓の反射を利用してこっそり背後を窺うと、沖田の視線が夕陽ではなくその手前の神楽に向いているのは明らかだった。やけに熱の篭った視線が居た堪れなくてダラダラと汗をかいていたその時、神楽の身体がピシリと固まった。

 

「…な、何…してるアルか」

「ん?いや、チャイナの手小っせぇなって思って」

 

神楽が固まった理由…それは膝に置いていた手を沖田に触れられたからだ。沖田は手の大きさを比べるように自身の掌の上に神楽の掌を乗せて、その差をまじまじと見つめている。

 

「こんな小っせぇ手のどこからあんな馬鹿力出てんのかねェ」

「ば、ばばば馬鹿力って何アルか!バ…バババババ馬鹿にしてんじゃねーゾゴラァ!」

「馬鹿になんかしてねぇよ。不思議だなって思っただけでィ」

 

重ねるだけだった掌が次第に指を絡めるように握られる。そして掌の感触を楽しむように時折開いてはぎゅっと握り締めてくるのだ。

親指の腹で手の甲を撫でられると何とも言い難い感覚が背筋を駆け抜けて、繋いだ掌がじっとりと汗ばんできた。

 

(どうしよう…心臓飛び出そうアル…)

 

今が夕方で良かった。

だってこんな情けない顔色を夕日の赤が隠してくれるから。もしこんなにも火照った頬を見られたらと思うと、今すぐこのドアをこじ開けて綱なしバンジージャンプを実行するところだった。

 

「なぁチャイナ」

「ひゃい!?」

「俺が前、花見で言ったこと覚えてるかィ」

「花見…?」

 

脳内で桜が吹き荒れた。

薄桃色の世界で沖田が微笑んでいる。

あの日、あの時、私はコイツになんて言われた…?

 

『__それって、嫁の貰い手の責任ってやつ?』

 

(なんで!今!それが浮かぶアルか!!)

 

そんな馬鹿な。だってあれはただの冗談だった筈だ。もっと他に言っていた筈だ。ほら、桜の下には死体が埋まってるとか色気のいの時もない事を言っていたではないか。

 

…なのになんで、真っ先にあの日の瞳が蘇る?

 

「あの日、テメーは俺の言葉を冗談か何かだと思ってただろうが、俺ァ結構本気だったんだぜ?」

「…え?」

「なぁ、あんなに俺を毛嫌いしてたお前がこの手を降りほどかねぇのは…俺の都合のいいように解釈しちまってもいいのかィ?」

 

縋るような声色に咄嗟に振り向いてしまった。その瞬間、あの瞳に囚われる。

 

「チャイナ…俺ァお前のことが…」

 

__オイ、いつまで寝てんだクソチャイナ。

 

声が、聞こえた。

目の前の男と全く同じ声が、神楽の頭の中に流れ込んでくる。

 

「…え?沖田…?」

「チャイナ俺を見ろ。その声に耳を傾けなくていいんでィ」

 

__昼間っからグースカ眠れるたァ、いいご身分だなァチャイナ。さすが宇宙産の家畜は待遇が違ェや。雌豚…いや、これじゃただの牛か。

 

「はぁ!?誰が牛アルか!!?」

「チャイナ、こっちを見ろ」

「え?は!?オ、オイ…何す…!」

 

突然引き寄せられて沖田の腕の中に囲われた。ぎゅうっと抱きしめられて沖田の香りが鼻腔を抜ける。その瞬間、落ち着いていた心臓が再び騒ぎ出す音がした。

 

「お、沖田…」

「チャイナ、俺ァテメーが好きだ」

「…!」

 

今…なんて?

信じられない言葉にハッとする。

 

「ずっと、初めて会った時からお前に惹かれてた。こうして過ごす内に、その気持ちがどんどん膨れていったんでィ」

「……おき、」

「一生大切にする。だからチャイナ…いや、神楽。俺とずっと一緒に居てくれねェか」

 

そっと身体を離されて、顔を覗き込まれる。熱を孕んだ瞳が神楽を捕らえた。胸がキュウっと締め付けられて、頬が熱くて仕方ない。嬉しいと…思ってしまった。

 

「沖田……私、も…」

 

__チャイナ。そんなにそっちの俺はテメーにとって都合がいいのかィ?

 

「…え」

 

__俺がそっちでどんな人間に成り果ててんのか知らねェが、テメーは本当にそれでいいのかよ。

 

「何…を…言ってるアルか」

「神楽、聞くな!」

 

目の前の沖田が必死に身体を揺すってくる。見たことのない焦った表情で神楽を引き留めようとしていた。

 

でも、私はアイツの声が聴きたい。

目の前の甘い言葉を囁いてくる優しい声よりも、憎たらしくて捻くれた物言いしか出来ない、けれど芯の通っている…あの芋侍の言葉を。

 

__テメーは忘れたのかィ、あの日の約束を。次は必ず決着つけてやるって息巻いてたクソガキはどこにいったんでィ

 

(誰が忘れるかヨ。こちとらその決着をつけるためにどんどけ修行してきたと思ってるアルか)

 

__まぁ、テメーが起きねェならこの勝負、不戦勝で俺の勝ちだなァ。仕方ねぇよな、起きねぇんだから。

 

(はぁ!?ふざけんじゃねーアル!誰がそんなもん認めるかヨ!)

 

__あぁそうだ。どうせならあの時みたいにこのまま火葬場までベルトコンベアーで送ってってやろうか。安心しな。ちゃーんと日焼けサロン型棺桶も準備してやらァ。

 

(テンメー!!一度ならず二度までも何やらかそうとしてるアルか!!ぶっ殺してやるアル!人の脳内で悠々語りかけてないで直接面見せやがれクソヤロー!)

 

__悔しかったらここまで上ってこい。

 

(上等ネ!今すぐそのお綺麗な面ブン殴ってやるアル!)

 

「神楽!!」

__チャイナ!!

 

ガタン、とゴンドラが大きく揺れた。ゆっくりと開かれる扉の先は眩い光によってその先は見えない。けれど、そこには確かに人影が手を差し出してくれていた。

 

「…ゴメンネ。私行かなくちゃ」

「ダメだ…行くな神楽…!」

「アイツは…沖田は。私のこと神楽なんて呼ばないアル」

 

神楽は最後にソイツを振り返り、ニカッと笑いかけて光の中へと走り出した。

私の帰りを待ってくれている、その手を掴むために。

 

***

 

「さっさと起きやがれクソチャイナ!」

「…さっきから耳元でグチグチグチグチうるっせーんだヨ!!安眠妨害で訴えるぞクソサドがぁぁぁぁぁ!!!!」

「グボォ…!」

「神楽!」

「神楽ちゃん!」

「ワン!」

 

寝覚めの強烈な一発が沖田の腹に決まり襖を打ち破り飛んでいった。目が覚めると神楽を取り囲むように万事屋の面々が覗き込んでいた。

 

「あれ…新八?お前なんでここにいるアルか」

「神楽ちゃんが心配でいてもたってもいられなかったんだよ!無事に目が覚めて良かった…!」

「ったく心配かけさせやがって。沖田君に礼言っとけよ…ってあれ、沖田君は?」

「え?それなら向こうの部屋に吹っ飛んで…あれ本当だ、いないや」

「そもそもなんでアイツがいるアルか?人の安眠妨害しやがって…」

「その安眠を解かないと神楽ちゃん死ぬところだったんだよ」

「…え?」

「そ。分かったらほら、ちゃんと礼言ってきな」

 

役目を果たし、何も言わずに去っていった沖田を追えと、神楽の背を二つの掌がドンと叩いた。神楽は訳が分からなかったが、どうやら沖田に助けられたらしいということだけは理解できた。やたらと生暖かい目で見守ってくる眼鏡と天パにしっかりと制裁を加えてから神楽は万事屋を後にした。

 

***

 

「オイ!待つアル!」

「なんでィ、まだ寝てなくていいのかィ?」

「もう十分過ぎるほど寝たからいいアル。これ以上寝たら夜眠れなくなっちゃうネ」

「そうかィ」

 

振り返った沖田の顔は夕陽による逆光のせいでよく見えなかった。奇しくも夢の中で見たあの夕焼けと重なり不整脈が顔を出しそうになるが、なんとか堪える。

 

「で?何か用かィ」

「…お前の声、聞こえたアル」

「そうか」

「不戦勝なんて許さないネ。今度は私が完全勝利してお前の葬式上げてやるんだからナ。精々残り少ない余生を楽しむことアル」

「ハッ、望むところでィ。返り討ちにしてやらァ」

「…それと」

 

小さく呟いて距離を一歩分詰める。

すると、逆光で見えなかった沖田の表情が漸く見えるようになった。急に近づいてきた神楽に意を突かれたのか、僅かに目が見開いている。

 

夢の中の私を見つめる熱の篭った瞳も、甘い言葉も存在しない現実の世界のお前。

口を開けば憎まれ口ばかりのいけ好かないクソ野郎だけど…この言葉だけは、訂正しといてやるヨ。

 

「私はやっぱり、こっちの世界のお前がいいアル」

「…は?」

「あーあ、やっぱり桜散っちゃったネ。勝負は結局来年に持ち越しカナ」

「ちょ、チャイナ今のどういう意味」

 

いつか夢の中だけじゃなく、現実のお前とおでかけがしてみたい…なんて小っ恥ずかしくて今は言えないけれど。

 

「来年、私に勝てたら教えてやるヨ」

 

_きっと泡沫の夢路の先に、君に繋がる未来が待っているから。

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