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NOVEL

てんきがいいから 

9,861 文字/1p

 

すみみん/こまみん

可愛らしいおでかけ目指しました

注意事項:1418です

「天気が良いなァ」

 

沖田の言うようにその日は朝から馬鹿みたいに天気が良かった。

 

「デートするかィ」

 

続いて、唐突に提案してきた。河原で、いつもの小競り合いというか、決闘と言うべきか、喧嘩なのか、そんな恒例行事を通過したあとのことだ。

 

「おゥ、望むところネ」

 

その挑むような口調を反射的に受けてたった。売られた喧嘩は買うべし、だ。

だが、答えてから「んん?」と気づく。

 

今コイツ、でぇと、って言ったよな? デートって、あれアル。付き合ってるオトコとオンナがきゃっきゃっウフフでお出かけするヤツ。

 

「じゃ、決まりな」

 

取っ組み合いの最中に脱げた革靴を履き直して、沖田は土手をのんびりと上り始めた。神楽は完全に出遅れる。当たり前だ、今の状況と言うことのちぐはぐさに理解が全然追いつかない。

何がどうなったら、先刻までどっちが強いか争っていた天敵とデートする流れになるのか。

沖田と神楽、間違っても付き合ってなんかいない。

沖田の頬には神楽のつけた引っ掻き傷がくっきり残っているし、神楽の腕には無数のアオアザがある。おまけにふたりとも砂まみれだ。

 

「ホラ、行くぜィ」

 

堤防に到着した沖田は、河原で事態を呑み込めないままポカンとしている神楽を見下ろした。

い、今からカヨ!? 神楽はぎょっとする。信じられない。いくらなんでも展開が早すぎる。けれど、戸惑いを口にすることはできなかった。慌てふためく自分を眺めて、沖田がしてやったり、の表情を浮かべるのは容易に想像できる。沖田が口にした「デート」そのものに深い意味はきっとない。これはきっとアレだ。そう、新手の嫌がらせ。

なら、沖田の期待通りの反応を見せてやるのは癪だ。

 

「望むトコロネ」

 

神楽は決心する。コイツの術中に嵌ったりなんかしない。コイツの予想の更に上をいって驚かせてやる。

 

これはおそらく本日二回戦目の開幕に違いない。


 


 

「海か山、どっちがいいんでィ」

「え…っ? ええ…と、海ナ。海アル」

 

嫌がらせに違いない。次には、必ず何か絶対仕掛けてくる、と身構えていたのに、初っ端から出鼻を挫かれたまま。

 

沖田はコンビニでさっさと買い物をすませると駅方面へ向かった。そこでふらりとレンタカー屋に立ち寄る。

デートと言われて、その辺の公園ブラブラして商業施設でも入って…なんて段取りを考えていた神楽は軽く混乱する。これってもしや、ホンモノのでぇとカ?? そうナノカ?? うそデショ?? 予想の上をいくつもりが、完全に一歩リードされている。当たり前にさくさくと事が進んでいく。この状況に、躊躇しないワケがない。

 

これは罠アル。決まってる! このまま従うのは危険過ぎるネ!

 

だが、レンタカー屋のお姉さんに笑顔で車の前まで案内されて、助手席のドアを開けられたらもう乗り込むしかない。追い詰められた感満載だ。

 

そうして車を発進させたひとつ目の信号待ちで沖田は神楽に「海か山か」と突然訊ねてきた。深く考えずに神楽が答えると沖田は「了解」と小さく返してゆっくりアクセルを踏む。

 

ずっと警戒線を張っているはずなのに、どうにも調子が狂う。

 

神楽の膝の上にはコンビニのロゴの入った袋がある。中にはペットボトルのお茶二本、飴、グミ、チョコレート、酢昆布。レンタカー屋の前に立ち寄ったコンビニで購入したものだ。

 

ここまでの沖田の様子をずっと伺っていたが、この袋の中のものに何かを仕込んだ形跡はない。ふたり分のお茶なんて、ますますコレはデートそのもの。

 

否、違う。騙されちゃイケナイ。油断させて奈落の底に突き落とす作戦なのかも。

海って答えちゃったケド、それでよかったアルか?? コイツのことアル。崖に連れ出されて決着つける気かもしれない。そしたらきっと突き落とされる。

 

「海だったら刺身食いてェな」

「えっ、はっ? そ、そうあるナ」

 

ここはやっぱり山を選ぶべきだったカ? 山のが安全そうアル。イヤ、山は置き去りにされたり、ダムに沈めらる可能性があるネ。それもマズい。

 

「…なんか大人しいな」

 

調子狂うわ。前を見ながら沖田は小さく言う。それはこっちの台詞アル。この親切心と純粋なデートっぽい雰囲気。何か企んでるに決まってる。じゃなきゃ、ドS何処かに落としたきたネ。あ、アレか。河原で思い切り頭攻撃したからそのとき落としたのカ。

だったらこれは、やっぱり普通のデートなのか? デートに誘われたのカ、ワタシ??

 

「ぎぎぎ銀ちゃんに連絡しとくアル。お昼ご飯すっぽかすと心配するからナ」

 

でもでもまだ心を開くのは早い。デートなのか別の企みがあるのかまだまだ結論を出すべきじゃない。でも、ひとつ確実に言えること。今のこの状況を誰も知らないのはマズい。とりあえず銀時には報告すべき。もしかしたら「帰って来い」って注意されるかも。だったらすぐに帰らないと。

 

「旦那にゃ、報告済みでィ」

「は…はぁぁぁぁ?」

 

高速のランプを目指しながら沖田はさらりと言う。さらに「レンタカーの手続きしてる時に電話した」と何てことのないように付け加えてきた。

 

「ぎぎ銀ちゃんは何て?」

「『晩飯までには帰って来い』ってさ。あと何処行くか決まったら一応知らせろ、って言ってたわ」

 

用意周到過ぎる。でも、銀時に報告してある、ということはやっぱり企みなんかはないのか。報告したっていう報告自体が疑わしいことこの上ないけど。

けど、だったらこれは本当のほんとうにでぇとなのか。しかも保護者公認の…。

 

神楽はますます焦る。

今までまともなデートなんてしたことはない。どういう心構えが必要なのかも分からない。第一沖田がどういうつもりでデートに誘ってきたのかも謎だ。

まて、一端落ち着け。ちょっと冷静に考えよう。まずはお茶でも飲んでそれから対処しよう。神楽はコンビニの袋を漁る。

 

「あ」

 

袋の底に掌より少し大きい箱がある。絆創膏の箱だった。

 

「…傷、気になるところがあったら貼っとけィ」

 

沖田に言われて自分の身体をよくよく見れば、膝にも腕にも手の甲にも擦り傷がある。

神楽の負った傷なんて、放っておけばすぐ治る。この程度のものなら昼頃には綺麗になくなる。沖田がそれを知らない筈はない。

それでもあえて、これを買ってきた。先刻も言ったが箱に何かを仕込んだ形跡はない。沖田は普段神楽の小さい傷なんか気にも留めない。

ナニコノちょっとした気遣い。沖田の親切心が気色悪い。

沖田はたまにボソボソと喋るだけで会話は弾まない。運転している時はあまり喋らない性質なのかもしれない。

 

邪推しても仕方がない。これはもう、なるようになれ! 覚悟を決めて、神楽は絆創膏を取り出した。そのうち一枚を素直に傷が一番酷そうだった左手の甲に貼る。片手だったから上手く貼れずに波打っている。昼くらいには必要なくなるから、それでもいいカ、そんなふうに思って、ふと沖田の方を見ると沖田の左手の甲にも同じような傷が見受けられた。

 

「オマエ、ここ擦り剥いてるネ」

 

神楽は言ってもう一枚絆創膏を手をすると沖田の手の甲に貼った。今度は上手にできた。貼っている間、沖田は無言のまま特に抵抗もしなかった。

 

「お揃いアルな」

 

特に意味はない。自分の手の甲と沖田の手の甲。そこに貼られた絆創膏を見て、思いついたことをそのまま口にしただけだ。

 

「そうかィ」

 

沖田は神楽を見たりはしなかった。けれど、その表情が一瞬だけ驚いたように変化する。そのあとそう呟いた沖田の耳が少し赤くなったように神楽には見えた。

 

「イヤ、別に。こんなおソロ、めめメーワクだけどナ」

 

慌てた神楽は弁解するように言って視線を落とす。頬が火照ったように熱くなるのを感じた。車内が微妙な空気になる。

イヤイヤ、ナニこの気持ち。何か甘酸っぱくて、ゾワゾワするアル。

 

高速道路に入った車は順調に走り続ける。


 


 

車を二時間ほど走らせて到着した場所は港町だった。漁港は観光地としても有名な場所らしく、界隈には魚介系の飲食店がずらりと立ち並び、海産物を売る土産物屋があり、水族館まで併設されていた。休日ということもあって漁港はかなりの人で賑わっていた。地元の人間よりも観光客の方が多そうだった。

どうしてここを選んだのかと沖田に訊ねると、なんとなく天気がいいから、と意味の分からない答えをされた。

 

『そこ、有名なプリンが売ってる店があるからさぁ、土産でよろしく』

 

周辺の道路はそこそこ渋滞していて、駐車場を見つけるのも一苦労だった。車をようやく停めたあと、神楽は沖田のスマホを奪ってまず銀時に電話をした。今いる場所を報告すると呑気な声が返ってくる。

 

「アイツはでぇとだって、言ってるアル。これ、ほんとうにでぇとなのカ?」

『沖田くんがそう言うんならそうじゃねーの』

 

やる気のない、心底どうでもよさそうな反応だ。どうせ鼻クソでもほじりながらテレビを観ているに違いない。

 

「銀ちゃん、いいのカヨ。ワタシが不純性交遊して」

 

沖田が銀時に報せた、と言ったのは本当だった。そして、どうやらこれは正真正銘のデート。しかも銀時もそれは承知している。

 

『ふじゅんせい…って、アイツが万が一お前にムラムラしてもお前張り倒せるだろ? 何にも危険なことねぇじゃん。せいぜい強請って高いモン奢ってもらえ』

「ふぬぬぬぬ」

 

からかい混じりで笑われて一言も返せない。銀時が指摘したように、薬でも盛られない限り神楽に貞操の危機はない。

 

『第一ムラムラするだけの要素がオマエにあんの?』

「ぐうううう」

 

何か言い返してやりたい。けど、今現在の姿かたちを振り返れば歯軋りするしかない。かなり完治はしたけれど腕にも脚にもまだ傷はあるし、河原で取っ組みあったせいでチャイナ服は所々くすんでいる。雪洞に仕舞った髪もきちんと結べていなくて、時々ずれる。デートの出で立ちとは程遠い。

 

「旦那ァ、今着いた処でさァ。これから昼飯行くんでひょっとしたら帰りが晩飯ちょっと遅くなるかもしれやせん。ここ干物が特産品らしいんで、あとでチャイナに持たせまさァ。夜は飯炊いて待ってて下せェ。あとプリンですねィ」

『おっ、気が利くじゃん。帰りはちゃんと送ってな』

「分かってまさァ」

 

ひょいと神楽からスマホを取り上げて沖田は勝手に話を進めて通話を切る。

 

「まずは昼飯食うぜィ」

 

これはやっぱりデートらしい。けれど沖田が何を考えているかさっぱり分からない。沖田はさっさと歩き出して、並ぶ飲食店の前にあるメニュー表のひとつひとつを興味深げに眺めている。どういうつもりか。全く、理解できない。

 

二時間かけてやってきた港町もやっぱり天気が良かった。


 


 

沖田が適当に選んだ定食屋に入って昼食をとった。神楽が注文したのは海鮮丼と天丼の特盛り。深海魚のフライとかマグロのステーキとか気になるものは他にもあったけれど見送った。別に「デート」を意識したからじゃない。何となく今回はいいや、そう思っただけ。それだけだ。

天丼の海老は大振りでサクサクだった。海鮮丼には透明のぴかぴかした小さい魚がマグロの切り身の横に添えてあった。今までに目にしたことない魚だ。今にも動き出しそうな小魚に何コレ?と目を丸くしたら、沖田から生しらすだと答えが返って来た。普段食べているしらすと呼ばれる魚は白い姿で泳いでいたのではない。生は日持ちしないので引き上げたらすぐ釜茹するらしい。生しらすはつるんとした舌触りで甘みが強い。たまに玉子かけごはんと一緒に食べるしらすも美味しいが、生しらすはまた別の美味しさがあった。獲れたてでしか味わえない。そんなことを聞かされたから特別だと感じたのかもしれない。

 

「お、これ乗るかィ」

 

遅めの昼食のあと、こじんまりとした水族館に入って、土産物の店先で目に留まったソフトクリームを奢らせようとしたときだった。港の端にあるずらり並んだ自転車を指差して沖田は言う。レンタサイクルだ。自転車の前にある看板には、ここから自転車で回れるオススメスポットが地図で表示されている。

 

「海岸まで20分か。腹ごなしにゃ丁度いいなァ。すいやせん、二台三時間で借りられます?」

 

しばらく地図を眺めていた沖田は独断で決めて、スタッフに声をかけると手早く支払いを済ませて自転車を持ち出す。レンタルした自転車は使い古された前にカゴのついた、ごくごく一般的なママチャリだった。どちらも前カゴにカモメのイラストが描かれた丸いステッカーがついている。

 

「海岸はあっちかィ。じゃ行くぜィ」

「待てヨ。どうしてオマエがリードするアルか。先導はワタシに決まってるネ。サドはワタシの後をヒイヒイ言いながらついてくるがヨロシ」

 

まずは前方にそびえる松林に向かうのが海岸へのルートらしい。神楽は沖田に宣言して自転車に跨ると全力でペダルを漕ぐ体勢に入る。

力任せにペダルを前に押すと、車輪がぐるりと回り出して一直線に滑り出す。

 

「あ…あれ?」

 

一周回ったペダルを同じ速度でもう一度。それを数度繰り返す。自転車はどんどんスピードをあげて、そのまま真っ直ぐに車道を目指しだした。思っていたより速い。しかもコントロールが全然できていない。マズイ、と思い咄嗟にハンドルを切った。途端にバランスを失う。

 

ガチャン。自転車もろとも神楽はその場にひっくり返る。

 

「ちょ、ちょっと速すぎただけアル」

 

上手く倒れることはできた。証拠にかすり傷のひとつもない。ハンドルの下敷きになった左手の甲も無事で不恰好な絆創膏はそのままそこにある。

神楽は気を取り直して自転車を立たせると、再び跨る。今度はゆっくり慎重にペダルに足を置く。するとハンドルが早くも不安定そうにグラグラと揺れ出して、1ミリも進まないまま自転車ごと身体が傾く。重力に逆らえる筈もなく、先ほどと同じようにまた自転車ごと道路に倒れる。

 

「チャイナ…テメェもしかしてチャリ乗れねェの?」

 

その様子をずっと眺めていた沖田がぶはっと息を吹き出した。人の弱味を見つけたときの、そこをトコトン突付いてやろうとする表情だ。

神楽が自転車に挑戦したのは初めてのことだった。あれに乗って街を軽快に動き回る人の姿に、買ってくれと銀時にねだったこともある。しかし欲しいと言われてポンと買い与えられるほど万事屋の経済状況は芳しくない。「定春がいんだろ?」とにべもなく断られてこの話題は消え去った。

 

「なななな何言ってるアルか! 乗れねーワケないダロ!」

 

自転車を乗りこなしている連中は街中にいる。だから当然自分も簡単に乗れるものだと信じていた。なのに知らなかった。自転車に乗る、という芸当がそこそこ難易度の高いものだったなんて。

ただ、それを素直に認めるわけにはいかない。目の前には沖田がいる。もう一度、今度こそ。運動神経抜群の自分がコイツに乗れないなんてあるハズない。

 

ペダルに押し込むように力を入れて、地面に付いていた足を放す。自転車は順調に走り出した。今度は程よいスピードだ。あ、乗れたかも?

そう思ったのも束の間、

 

「あわわわわ」

 

やっぱりコントロールができない。気づくとレンタル用に並んだ自転車が目の前に迫って、ブレーキをかける間もなくそのなかに飛び込だ。

レンタル用自転車数台を巻き込み豪快に倒れる。

 

それまで笑顔だったスタッフが顔を引きつらせながら倒れた自転車と神楽に駆け寄った。

 

「もう一回挑戦アル」

 

このままじゃ引き下がれない。鼻息荒く神楽が腕まくりするとスタッフが困惑した表情を浮かべる。

 

「コイツ乗れねェみたいなんで、やっぱりキャンセルさせて下せェ」

「どうしてワタシのチャレンジ精神をへし折ろうとするネ」

「イヤイヤ、テメェこのままいったら自転車破壊するか車と正面衝突だろうが。自転車特訓はお家に帰ってから公園でゆっくりしな」

 

沖田はさきほどの意地の悪い顔を引っ込めて、神楽の倒した数台の自転車をスタッフと一緒に立て直す。心底悔しい。が、呆れたように諭されてしまっては、ぐうの音もでない。

 

「海岸までなら車でも行けんだろうし」

 

沖田はさっさと切り替えて駐車場に向かおうとする。神楽は納得はできないが従うより他ない。

そのふたりの背中にスタッフがおずおずと声をかけた。

 

「あの…もしよければ二人乗り用自転車あるんですが、そちらにします?」


 


 

「これ『おしおきだべー』ってやられる自転車アル」

「ありゃ三人乗りだ。こっちはタンデム仕様なんで安心しろィ」

 

スタッフが奥の方からいそいそと出してきた自転車はサドルと後部車輪の間にもうひとつサドルがついた細長いものだった。あまり格好のいいものではないが、選択肢はない。神楽はさっきからずっと沖田の背中を眺めている。

バランスとスピード調整は前に乗る沖田の役割だ。両方のペダルは連動していて後ろの神楽は沖田の足の動きに合わせてぺダルをひたすら漕ぐ。

松林のなかは遊歩道とサイクリングコースになっていて綺麗に整備されていた。地面の凸凹もなく走りやすい。

松の間からささやかな木漏れ日が地面に落ちている。点々とした影と光が次々に変化して追いつき、駆け抜けるように追い越していく。

 

途中、自転車に乗る男女とすれ違った。それぞれの自転車には二人乗り自転車と同じカモメのステッカーが貼られていた。二人連れは並走していて、前から沖田たちがくるのを確認すると一列になる。沖田が脇道へ自転車を停めると、ふたりは軽く会釈して通り過ぎていった。すれ違う瞬間、神楽は後方の女性の方と目が合う。

 

「アレ、絶対『コイツチャリ乗れないのか』って顔してたアル」

「あーそうかもな」

 

自転車を再び走らせる。タンデム仕様の自転車はあからさまに後ろの方が力不足だと示しているようで神楽は面白くない。

 

「乗れなくたって別にいいアル。定春のが乗り心地いいネ」

 

自転車のスピード感は定春のときとあまり変わらない。全力疾走なら断然定春の方が速そうだ。決して負け惜しみなんかじゃない。神楽はフンと鼻をならした。

 

「テメェはアレだわ、いきなり加速しすぎなんでィ。勢いだけで走らせようとするから曲がれないんでィ。ちゃんと練習すりゃすぐに乗れるようになると思うぜィ」

「本当アルか?」

 

思わず聞き返してしまうと沖田から「ああ」と短い返事がきた。自転車を自分で乗りこなすことができるのならやっぱりそうしたい。けれど、先ほど定春と比べてしまった手前、素直に喜ぶこともできずむすりと黙り込む。

 

サイクリングコースは途中松林から海方面へ折れるようにと指示がある。その通りに先に進むと防波堤があって向こうに海が広がっていた。海に沿ってつくられた防波堤がそのままサイクリングコースだった。前に視界を遮るものが何もない。遥か向こうにこじんまりとした海岸が見えてくる。

 

「太陽、平気かィ?」

「たいぶ陽が傾いてきてるからこのくらいなら問題ないアル」

「そうかィ」

 

陽の光をモロに浴びていたことに言われて初めて気づいた。だが、西に傾き始めた光はかなり弱くなっていて大した影響はなさそうだった。

もしかして、と神楽は思う。日陰の多い松林のサイクリングコースを選んだり、車で出掛けたり。

沖田は晴天の元、神楽が体調崩したりしないように気遣っていたんじゃないか、と。まさか、だけれど。

 

「…なァ」

「なんでィ?」

 

ずっと沖田の背中しか見えない。どんな表情をしているのか分からない。

 

「…何でもないアル」

 

聞こう、と思ったけれど、結局言葉にはできなかった。

 

「あの犬っころと並んで走るより自転車の方がサマんなるだろィ。自転車乗れようなったら、またデートしようや」

 

海から吹く風が心地よい。海は完全に凪の状態で、海面に反射した陽の光が鏡のようにキラキラ光っている。

 

「…これ、デートなのかヨ?」

「立派なデートだろィ」

 

神楽は左手の甲についた絆創膏を眺める。たぶんもう傷はなくなっている。

夕刻が少しずつ近づいている。海岸に到着したらすぐに引き返して、そうして帰路につく。

 

それを思うと、すこし、名残惜しいような感覚に襲われた。

 

「あり? テメェひょっとして楽しくねェ?」

「何でそんなこと聞くのヨ?」

「俺ァ、充分楽しいからなァ。なのにテメェが楽しくなかったら嫌だろィ」

 

沖田は一定のスピードで海岸を目指す。どんな顔して言っているのかは確認できない。

またデートする。楽しいか。

その両方に迷いなく「うん」と答えたかったけれど、どうしても素直になれなかった。いつもと全然違う沖田の態度に戸惑うよりも楽しんでいる自分がいる。それを認めたくなくて、そして気恥ずかしくて仕方がなかった。

 

沖田が江戸を離れたのは、その翌日のことだった。


 


 

「この干物ちっとも美味しくないアル」

「人がせっかくお前のリクエストに答えて鯵の開きを買ってきてやったのに何だよ、その態度。反抗期ですかコノヤロー」

 

真選組が捕縛した筈のテロリストの残党が地方に散らばって再集結の機会を伺っているらしい。

沖田はその足取りを追うために江戸を発った。何処にいるのか知らない。もしかしたらあちこちを点々としてるのかもしれない。いつになったら戻ってくるのかも分からない。そういう話を神楽はあとから銀時に聞かされた。

 

沖田の言うデート、というやつをしてからもう3カ月経つ。

 

「身がぺったんこネ。塩辛いだけだし。あの時お土産で買ってきた干物は脂が乗っててふわっふわだったアル」

 

沖あの日の『デート』の帰りに干物を買い求めた。物産センターで売っている冷凍物でなく、魚屋が自ら下ろして店先で天日干しにした鯵の干物だった。

 

「確かにあれは旨かったよな」

「そうアル。その干物じゃないと受け付けない身体になってしまったアル」

 

発泡スチロールに一杯入った干物を持ち帰った。くっつかないアルミ箔をフライパンに乗せて焼いて食べた。肉厚の干物はほんのり甘みがあって信じられないくらい美味しかった。食べきれない分は一枚一枚丁寧にラップに包んで冷凍して大事に食べた。冷凍しても、何度食べても、やはりそれは感動モノの美味しさだった。

 

帰るときに適当に目に留まった魚屋だったのに、かなり当たりのお店だったらしい。

ただ、それを一番に言いたい相手は、もう江戸にはいなかった。

 

「確か通販してたんじゃねぇの。名刺が確かあったな。注文するか?」

「まじでか??」

 

銀時は思い出したように言って机の引き出しを漁る。しばらくして「あった」と小さなカードを取り出した。

 

「こないだの仕事で想定してたより多い報酬入ったし、パチンコも連勝してるし。いいぜ、頼んでやる」

「ヒャッホー、銀ちゃん、太っ腹アル」

 

善は急げ、とばかりに銀時が電話を手にする。

 

「暇なときに車借りてそこまで行ってもいいんだけどな。海鮮丼も旨かったんだろ?」

「銀ちゃん積極的過ぎるアル!」

「じゃ明日行くか? 新八も暇だろうし」

 

電話を置いて銀時は言う。干物に海鮮丼、と聞いた神楽は思わず飛び跳ねようとする。けれど結局飛び跳ねることはしなかった。

 

「やっぱいいアル。またの機会にするネ」

 

ぐっと拳を握り締めて肩を落とす。銀時が不審そうに神楽を見た。

 

左手にあった絆創膏はとっくの昔に剥がれてしまった。沖田は未だに江戸に戻らない。


 


 

朝から馬鹿みたいに天気のいい日だった。

 

沖田が江戸に戻ってきたのは昨日の夜半過ぎだ。残党は一人残らず生け捕りにした。当初の見立てでは任務完了まで半年はかかるだろうとの予測だったから、3カ月と少しでの成果は見事なものだろう。我ながらよくやったと沖田は思う。

 

「だったら少しは労えってモンだ」

 

長旅を終え、その足で近藤と土方に報告をして泥のように眠った。今日一日くらいはゆっくり身体を休ませるつもりだったが、朝から巡回に行けと土方に叩き起こされ自室を追い出された。

おかげで全然疲れはとれていない。土方に殺意を覚えながらぶわっと欠伸をして、いかにも気だるそうに屯所の門を潜った。そしておかしいことに気づく。

巡回との命だったのに、同行する奴の姿が何処にもない。パトカーも用意されていない。

 

代わりに、沖田を待ち構えるように佇むひとの姿があった。

 

チャイナ服姿で雪洞頭のあの女だ。真新しい自転車を横に従えてぶつくされた顔で沖田を睨んでいる。

 

「自転車、乗れるようになったアル。だからまたデート、連れてけヨ」

 

不本意でたまらないといった表情。けれど沖田はその女の左手の甲にあのときと同じように絆創膏が貼られているのを見つけた。沖田の帰郷を知って慌てて自転車の練習をして傷つけたのか、もしかしたら傷なんてないのか。沖田には分からない。けれど、どちらでもいいと思う。

 

「本当かよ」

「当たり前アル。オマエなんかよりよっぽどカレーに走れるネ。天気もいいし、今から見せてやるヨ」

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