NOVEL
みぎわの星
7,111 文字/1p
こまや/こまみん(こまや)
沖田隊長と神楽ちゃんが離島に行くはなし。
「うまくは言えないけれど」の続きです。
どうして沖田が船を選んだのか知らない。いつかの離島で過ごした一日がよほど楽しかったのかもしれない。
赤子の泣き声のようなウミネコは、ほそながいエビのお菓子がお気に入りだった。一度好きになったものはそうそう変わったりしないものだ。私だって今も酢昆布をリスペクトしてる。
「さて、俺ァ部屋で寝てるわ」
甲板から江戸の街並みを眺めるのが好きだ。鉄のにおいがしそうな漁港の向こうに、けぶるビル群がそびえている。ふたつの景色の合成写真みたいなちぐはぐさは、江戸が私のような外部から来た天人に似合いの街だと保証してくれる。
「テメェは、まだ外にいんの?」
「……」
沖田は私と一緒に部屋に入りたいみたい。名残惜しげに手すりから体を離そうとしない。私はそんな沖田の顔を見て、船と並行しているウミネコの顔を見て、どちらが私を必要としているか考えた。
甲乙つけがたい。けれど可愛げという点で、ウミネコが勝った。
「つか、もう無ぇだろ。河童海老セン」
「あ」
赤い袋を裏返しにした。最近はパッケージも紙の商品が増えた。この紙は再生紙として利用できるのだろうか。
袋から落ちた粉が風に舞って、ウミネコは後方へ流れていった。私はしぶしぶ袋を丸めて、ご機嫌な沖田の背中を追った。
*
「離島行くぞ、船乗って」
沖田と二人で船旅をしたあのときから、二年経っていた。
小さいころ親にあげた肩たたき券を、大人になって使えと言われた気分だった。
確かに、私はまた来ようと言った。
いや、言ったというか、沖田の提案にうなずいただけだ。言葉では約束していない。
奴はそれを律儀にも覚えていて、当時の会話をこと細かに再現して私を強請った。藪椿のしげる山の上で、彼はまた来ようと言って、私はうなずいたのだ。
「急アルナ。何しに行くのヨ」
「……リフレッシュ?」
なぜ疑問系なのか分からない。だけどいちいち訊くのがバカらしくなって、私はしぶしぶ相槌をうった。「あっそ」といった具合の、気の無いやつだ。
「今度はせっかくだから、島でも一泊するかィ。離島で素っ裸になって太平洋一望ってのも悪かねェ」
「そういう旅なら遠慮するアル」
「風呂でィ、露天風呂。あり? チャイナさん、なに想像してたんですか?」
ぶっ飛ばしてやりたくなった。だけどここはオシャレなカフェで、私の前には生チョコレートに苺クリームチーズのムースを重ねたタルトが置いてあるし、沖田の前には濃厚なミルククリームがたっぷり乗った苺パフェが置かれていた。暴れるのは得策ではない。
「……えと、いつ?」
「今わりと手が空いててな。できれば明日」
「明日」
ほんとうに急な話だ。けれど私の脳内スケジュールには予定というものがほとんど入っていない。万事屋はいまも年がら年中閑古鳥が鳴いているから。
その場で了承を口にした。
沖田は集合場所と最低限必要なものを口頭で伝えて、持っていたスマートフォンで船の乗車券と宿を予約した。便利な世の中になったものだと思った。
そんなやりとりがあったのは昨日だ。
いま、私たちは特等室のベッドで横になって、窓から見える青々とした大海をぼんやりと眺めている。途中でイルカらしき黒い影が海を跳ねたけれど、一瞬でよく見えなかった。
一緒に見ようと移動した沖田は、そのままさりげなく私のベッドに居場所を作って動かなくなった。腰に手をまわされているから、動きにくいし重い。寝息まで聞こえてきた。私は抱き枕じゃねーんだヨ。
船旅は宇宙船に乗っているときの感覚に似ている。膨大な命や情報が詰まったこの波の上では、私なんてものすごくちっぽけな生き物に思えてくる。ほんの少し、不安になる。
能天気に眠る沖田の手の甲に、手のひらを乗せてみた。骨ばっていて硬い男の手。やつは半分起きていたのか、調子に乗って私の服に手を入れようとした。力強くつねってやった。
「痛ぇよ」
沖田が文句を言う。低くて、何事にも動じないのんきな声。この声は嫌いじゃない。
「自業自得アル」
「ちっ」
あからさまに舌打ちを落とされたけど、沖田は私を抱く力をゆるめなかった。こいつの温度には慣れてしまった。またスゥスゥと規則的な寝息が聞こえてきて、私もまどろみはじめた。夢とうつつの狭間が一番気持ちいい。
そういえば、二年前もこうして抱き合って眠ったんだった。思えばはじめてまともにコイツに触れた日だった。
耳を甘噛みされて目が覚めた。身じろいだらお腹がキュルキュルと鳴って、私は沖田の腰に指を這わせた。
小さく反応して離れる身体。ドエスはこそばゆいのが苦手なのだ。
「腹減ったアル」
「起き抜けにそれかィ。ま、いいや。飯食いに行こうぜ」
ラフな部屋着のまま、私たちは階段を使って共用のレストランへ向かった。メニューはうどんやラーメン、カレーなど。高速道路のサービスエリアみたいな献立が並んでいる。あまり二年前から変わらない。
「酒があんだろ、酒が」
沖田は迷わず生ビールをジョッキで注文した。それから少し考えて、カレーを選択した。二年前と同じ。私もカレーを特盛りにして、海老フライを乗せてもらった。
「明日はどんなスケジュールアルカ?」
カレーを食べながら訊いてみる。沖田は口に入れかけていたサラダをいったん皿に戻し、説明をはじめた。
「船から送迎車でホテル行って荷物置く。レンタカー手配してるから、そっからは二人で移動だな。ピザランチでもして、牧場でアイス食って、温泉めぐって、夜景でも見るか。恋人らしく」
ノーコメントにしておいた。恋人ってなんだ恋人って。はじめて言われたアル。
「で、夕飯はホテル。徒歩でビーチ行けるらしいから、食後に水着着て海入ろうぜ」
「海水浴! できるアルカ!」
「ああ。行ったことねぇんだろ」
「海には何度も行ったことあるけど、いつも砂浜から見てるだけだったネ。ありがと。嬉しいアル!」
ついはしゃいでしまった。
沖田が照れた顔をして視線を逸らす。私もつられて目を逸らして、いつものクセで周囲を確認した。
江戸では私も沖田も顔が知られているから、表だって仲良くしているところを見られたくないのだ。
一緒にいるぶんにはいい。痛々しいイチャイチャがダメだ。いつどこでナメられるか分かったもんじゃないから。特に沖田の血に濡れた職業では、笑いごとでは済まされない。大人にならなきゃいけない場面が多々あるのだ。
けれど今、人の少ない海上のレストランでは、そんな心配は無用のようだった。皆それぞれに休暇を楽しんでいて、私たちには目もくれない。
リフレッシュ、と言った沖田の心境が、少し理解できた気がした。
「嬉しいなら、よかった」
サラダを口に入れ、モグモグさせながら沖田は言った。顔がまだ赤かった。
翌朝、私たちは太平洋のど真ん中にある離島に到着した。ひと晩海の上にいただけで、なんだか土が懐かしい。
ポートにはアロハシャツを着たおじさんが「沖田」と書かれたプレートを持って待機していた。ホテルの送迎担当なのだと言った。
私たちの他にお客はいなかった。平日であったためか、時間帯によるものか、分からなかったけど、型の古いセダンに他人と相席しなくて済んだのは幸いだった。沖田は他人との接触を好まない。
「夜はお刺身と島寿司がたくさん出ますから、お昼は和食でないものをオススメしますよ」
運転中、おじさんは近くの洋食屋をいくつか紹介してくれた。沖田が前の座席から見えない位置で、そっとスマートフォンをかざした。提示されたお店のひとつをすでに予約していたらしい。
ホテルに着いて、荷物を置いた。アジアンテイストの広々とした一戸建てだった。豪勢なことだ。
それから沖田はTシャツとハーフパンツ、私は薄手のワンピースに着替えて外に出た。
まずはランチだ。ホテルから車で十分ほどで目的の店に着いた。
白い煉瓦造りの建物で、開放的な庭にテラス席もあった。周りにはヤシの木が植えられ外国の国旗が掲げられ、なんだか違う星に来たみたいだ。
派手な赤色の石窯で焼かれたピザは美味しかった。島で作られたというモッツァレラチーズがふんだんに使われていた。
ピザをかじりながら、沖田が言った。
「美味いが、アレだな。江戸でも食えるなコレ」
「お前……私が気を使って言わなかったことを」
「使ってねェだろが。今まさに」
雰囲気も込みの値段だろうということになった。深い緑に囲まれて、トロピカルなジュースもセットで、ひと足早い夏の日差しの中で、おそらくは本州から運ばれてきた小麦粉で作ったピザを食べる。得も知れないおかしさが込みあげてきて、私は笑いが止まらなかった。
「いつまで笑ってんだ、テメェ」
「……ブフッ、なんでもないアル」
沖田が私の前髪をぐしゃりと撫でた。
こんなふうに人前で触れられることも、ずいぶん無かったように思う。
ホテルには温泉が無いらしい。そもそも温泉つきの宿がこの島には無いのだという。
島内にある公営の温泉は片手で数えるほどしかなく、沖田はそのうちのひとつに入りたいのだと言った。放牧された牛たちがのびのびと歩きまわっている草原で、アイスクリーム片手に会話した内容だった。
「例の、全裸で大洋を見渡せる温泉アルカ」
「おう。貸切じゃねェのは残念だが、まぁ話のタネに行っとこうぜ」
「話のタネも何も、お前こういう話、誰かにすんのかヨ」
「わりとするぜ。近藤さんや土方には」
意外だ。沖田が彼らにどんな顔をして私との旅行のことを話すのか、興味がわいた。今度飲み会に同行させてもらおう。
牧場で買ったアイスは、島の特産の少し苦味のある草で味つけされていた。バニラビーンズとの調和が絶妙で、さすがの沖田もこれを「江戸でも食べられる」とは言わなかった。
もしまたこの牧場に来ることがあったら、同じアイスを食べたいと思った。ひらけた牧草地でこんな特徴のある味を食すなんてこと滅多にないから、次食べるときは私は否が応でも沖田のことを考えるんだろう。だからそのときも、となりにいるのがこいつであったらいいと願った。
絶景の露天風呂は、空いていた。
ひとりで大海原を素っ裸で眺める、なんて贅沢な時間だ。露出癖があればもっと最高なんだろうけど、あいにくと私はノーマルなので普通に景色を楽しんだ。
首まで湯に浸かって、濃緑の沿岸と水平線の境を目で追った。波に太陽が反射して、キラキラとまぶしかった。
イルカを探してみたものの、見つからない。どこかにいたのだとしても、海面は無数の青や白や黒で覆いつくされ絶えずうごめいていたから、私の視力でも判別は難しかった。
「にしても、静かアル」
思えば昨日からずっと二人きりなのだ。沖田は気疲れしないのだろうかと心配になる。ああ見えて繊細な男だということは、それこそ二年前から知っている。
沖田は疲れているとき、基本的にはひとりになりたがる性分だ。
ひょんなことから重なった二年前の時間からこれまで、やつに誘われるのはやつが元気なときか、とことん弱っているとき。会話の内容は仕事のことが多い。
はっきりとした言葉をもらったことはなかった。沖田が何を考えているのか、私は実のところよく分からない。
昨晩沖田は、私たちのことをはじめて「恋人」と呼んだ。
恋人ってなんだろうか。最低限、愛は囁いてくれないと認識は持てない。まぁ沖田に囁かれても気持ち悪いだけだろうけど。
やつはいつも唐突にやってきて、私を万事屋から連れだす。気まぐれに食事をして、たまにドライブ、時間があれば肌を重ねる。
──チャイナ。
薄闇で私を呼ぶ沖田をふいに思いだした。討入りのときみたいに真剣に、やつは私を凝視して、余裕のない掠れた声を出す。
夕焼けを見にきたはずなのに、さっきから沖田は私の横顔ばかり見てる。いい加減にしろと睨みあげようとして、失敗した。ただ目が合っただけだった。
口づけが落ちてくる。オレンジに染まる展望台の下で、なにベッタベタなことしてんだこいつ。恥ずかしくねーのかヨ。
って、言いたいのに言えない。
今日の私は少しおかしい。
普段まとっている意地とか警戒心だとかがペラペラと剥がれていくようだった。沖田が顔を離し、数秒私をジッと見つめてから、またキスの雨を降らした。今の私の顔を鼻で笑われると思ったのに、こいつのほうこそ夢心地で気の抜けたバカの顔をしていた。
周りに人はいない。車も通らない。
圧倒的な人口密度の低さだった。ワンピースの肩紐が外れて車のシートを倒されても、私は文句を言わなかった。
結局、夕陽はあまり見れなかった。
何かとひと言多いのが私たちだけれど、いざというときには言葉が出てこないのも私たちだ。
夕食は海鮮が山ほどでてきた。行ったことないけどイメージバリっぽい艶やかな竹の家具に囲まれた部屋で、私たちは言葉少なに食事をした。
今から海に入るつもりだからか、沖田はお酒を飲んでいない。シャンパンをボトルで頼んでいたから、夜に飲むのかもしれない。
「溺れるの、怖いアルカ?」
シャンパンを冷蔵庫に入れる沖田に、ニヤニヤしながら訊いてみたら、しれっと返された。
「いや、飲んでねェほうが酔えるだろ」
ああ、そういうこと。
昼は青さが際立っていた海は、日が沈めば黒々としてどこかおどろおどろしい。近くの海岸は砂浜より玉石が多くて、私も沖田もサンダルは脱がずに海に入った。揺れる波が足首、ひざ、腰、胸のあたりまで来たところで、沖へ出るのを止めた。
「泳がねーの?」
「……泳ぐ」
海底を蹴ればたいして力を入れずとも浮力で背中が空気に触れた。水泳の経験は実は数えるほどしかないのだけれど、夜兎の運動神経は見よう見まねでもなんとか体を前に進めてくれた。
「おー、速ぇな。すげ」
沖田ののんきな声が後方から聞こえる。バタ足で水をかけてやろうとしたけど、やつの居所がよく分からなくてやめた。
体を立てて波に浮かぶ。表層と下層で動きの異なる水の中、足を動かして顔を上げて息をした。
満点の夜空が私たちを見おろしていた。
岸が見えなければどこに浮かんでいるのか分からない。不思議な浮遊感だった。
「あり、足つかねーか」
沖田が近づいてくる。彼の背ではギリギリ足がついているらしく、私よりも安定した動きで一緒に空を見上げた。
悔しくて肩に掴まってやった。硬くて筋肉質の、傷だらけの背。江戸で見る沖田の背中よりも他愛無い印象を受けた。
私たちは今、本当にただの恋人同士で、映画の開始十分でジェイソンに刺されてもおかしくないような、ありふれた甘い休暇の真っ最中なのだろう。
ゆらゆらと体が波に押される。離れないよう沖田の首に腕を巻きつけた。透明の海水を淡い髪から滴らせるこいつは綺麗だった。聡明なようで決して聡明じゃない、ただ何も考えていないだけの表情で、ポタポタと滴を落としながら彼は私のほうを見た。
「部屋、戻るか」
「……ん」
沖田の唇は塩の味がした。
堰き止めていたなにかが機能を失い、涙があふれそうになった。実際少しは出ていたかもしれない。海水でごまかせたかどうかは微妙だ。
朝、まどろみに沖田の声を聞いた。
何を言っていたのか、よく聞こえなかった。優しい低い音が私の頭の奥までゆっくりと浸透して、私はぼんやり瞬きをしてから、また目を閉じた。
まぶたで感じる光量では、まだ朝食の時間には早そうだ。
沖田は歌っているみたいだった。いや、波の音かもしれない。やつはあらゆる無駄を削ぎ落とした生き方をしているから、鼻歌なんてきっと似合わない。
頭の上に、大きな手のひらが乗る感覚があった。
──ああ、名残惜しいナ。
景気よく空気が弾ける音がした。ほんの少しのアルコールの香り。沖田がシャンパンを開けたんだろう。
今日、私たちは江戸へ帰る。
*
江戸に着く少し前の船の中。ボストンバッグに荷物を詰め、肩にかけたタイミングで、沖田がぽつりとつぶやいた。
「俺ァ将来、この島で過ごした時間を思いだして、笑って死ぬと思う」
なにを突然言いだすんだと訝しんだけど、優しい私は黙って次の言葉を待った。時間があったので、その間に心の中で同意しておいた。
そうネ。今際のきわのお前は、頼んでもないのに私のことを考えて、勝手に笑って死ぬんだろう。
「……うまい言葉が、旅ん中で出てくるはずだったんだが」
沖田が何を伝えたかったのかなんて、私に分かるわけはない。有意義なことかどうかも知らない。だからわざわざ言葉を探せなんて言わない。
ただ、私だったら、こう言うと思う。
『たとえば私は、今から帰るさきがお前と一緒だったら、幸せだろうなって思うアル』
……なんて、口が裂けても言えないけど。
「オイ」
「んでィ」
「また来たいアル」
「あたりめーだ。なんなら来月でも」
笑ってしまって肩が揺れた。来月は、ちょっと早すぎると思う。こっちにもいろいろ都合がある。
大型客船が着岸し、部屋を出る直前。沖田が私の腕を引いて、部屋の戸に押しつけた。
あごの下に指を添えられ、顔を上向きの角度にされたらすることは決まっている。慣れた唇がやわらかく私のそれを包む。
沖田の手のひらが私の首筋を撫でた。甘い白ぶどうのにおいがした。
私たちは長い長い一瞬で、揺蕩うみたいにいってかえって、だけど最後には帰るべき岸へとまっすぐに泳ぐ。そうしないと均衡がくずれて江戸の街を飲みこんでしまう。ずぶずぶと溺れて、帰る場所を失ってしまう。
だから今はまだ、せいぜい険悪に見えるよう目を釣りあげて笑って、そして。
「じゃーな」
「オウヨ」
体を、離した。