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NOVEL

海の中の水族館 

14,837 文字/1p

 

一々二/112さんし

1814沖神。

町内の抽選会で二人が当てたのは、江戸に新しく出来た『大江戸水族館』のペアチケット。
楽しみに準備をする神楽。
しかし当日、不逞浪士の鎮圧に向かった沖田は待ち合わせ時間に来ることはなかった。
弁解しようと万事屋へやって来た沖田だが、怒った神楽と喧嘩になり、源外の機械ごと階段から落下する。
起き上がった場所は、知らない景色。見知らぬ建物。そして、二人の目の前に沖田と神楽そっくりな制服姿の男女が現れて…。

時空の狭間に落とされた二人が、源外の機械によって様々な世界線を辿っていきます。
自分じゃない、別の世界の『じぶん』。
果たして元の世界に帰れるのか。

楽しんでいただけますと嬉しいです。


表紙はみおん様の素材をお借りしました。ありがとうございました。

 

注意事項:現代・未来(夫婦・子供あり)の捏造設定があります。

かぶき町の街を、神楽はニコニコと歩く。

手には細長い紙切れが3枚。向かう先は小さなビニール屋根のテント。何人か近所の主婦が並んでいる。最後尾でウキウキと順番を待つ。

いよいよ神楽の番。

「これ、1回分アル!」

3枚の紙を差し出すと、抽選係の八百屋のおじさんはあー…と気まずそうな表情になる。

「神楽ちゃん、すまねぇな。抽選は5枚引換券が無いと出来ねぇんだよ」

「えぇっ!?」

しょんぼりと手元を見る。何回数えても3枚しかない。テントに貼られているポスターを見ると抽選期日は今日まで。せっかく集めたのに。

「あと2枚あれば出来るからさ、銀さんとかお登勢さんに聞いてみな」

「うん…」

邪魔になってはいけないと、すごすごその場を去る。銀時にもお登勢にも、もう聞いた上でようやく集めた3枚。。

ふと顔を上げると、団子屋の前で紙を受け取る男。神楽は足早に近寄る。

「サド!」

振り向いたのは、真選組一番隊隊長・沖田。隊服に帯刀したまま団子屋から出てきたということは、いつものようにサボっていたのだろう。

呼びかけて、腕を掴む。手には紙が2枚。

「何すんでェ」

突然の奇襲に不機嫌そうな表情を浮かべているが、神楽は何も言わずに引きずって行く。さすがに意味が分からないと足に力を入れて動かないように留まる。

「おい、何の嫌がらせでェ」

「お前に用は無いアル。用があるのはお前の手の中の紙ネ」

人差し指で沖田の手の中の紙を指す。

「紙ィ?あぁ、お前ひょっとしてこの抽選券欲しいの?」

紙を指でつまみ、わざと頭の高さまで上げてひらひらと揺らす。ニヤニヤと見下す顔が憎たらしい。傘を持つ手に力を入れ、腹に一撃加えてやろうと振り切るが交わされる。ジャンプをしてみるが、さらに高く上げられて届かない。

飛んだ瞬間、着地位置に沖田の足が弧を描くように動き、体制が崩れる。転ぶ瞬間、手から紙を離してしまった。すかさず沖田が空中に舞う3枚の紙をキャッチする。

「あぁー!」

「なんでェ。抽選券が降って来やがった。5枚揃ったし抽選して来よー」

とんでもない極悪顔で笑い、スタスタと抽選テントに向かう。神楽もすぐに起き上がり、腕にまとわりつく。

「おい!それはわたしのアル!返せヨ!」

「拾ったんだから俺のでェ」

「おまわりがドロボーしていいのかヨ!返すアル!」

「やだね。そもそもてめぇは3枚しか持ってねェんだから引けねェだろうが」

「ならお前が2枚くれたらいいダロ!神楽様が使ってやるアル!」

抽選場の前で喧嘩を繰り広げる二人に、困った八百屋のおじさんが飛び出してくる。

「まぁまぁ!二人で引いたら?半分こ出来る景品だったら分けたらいいじゃない」

仲裁されてようやく止まる。確かに、お互い抽選券は足りない。冷静になり、横目でお互いを窺うように見る。

「まぁ、半分こなら」

「仕方ねェな」

同時にガラポンの取っ手に手をかけると。

「「せぇーの!」」

 

ガシャガシャガシャ!

 

常人では見えない速さでガラポンが回転する。何回転したかは見えないが、二人が手を緩めた瞬間、カランッと音が鳴った。おじさんが玉を見つめて、ベルを手に取る。

「はーい!二等賞―!」

カランカランと高らかにベルが鳴り、周りの客たちがパチパチと拍手をする。

「特賞の米俵狙ってたのに…!」

「二等ってなんですかィ」

「先月オープンした大江戸水族館ペアチケットでーす!おめでとうー!」

ニコニコと笑顔で目録を渡してくれた。

 

抽選場から少し離れると、沖田が神楽に向かって目録を投げる。

「ほら」

「なんだヨ」

「俺ァ、興味ねェ。やる」

沖田が「じゃ」とその場を去ろうとした時。

「なぁ、サド。これ、二人で当てたやつアル。だから半分こダロ」

目録をバリバリと破り、中のチケットを1枚取り出す。

「いらねェよ。」

「お前、水族館行ったことあるカ」

「ねェよ。魚なんて食うならまだしも、見るとか興味ねェし」

瞬間、沖田の胸にドンという衝撃が走る。息が詰まるような痛みでゴホゴホ咳をし、胸元を見ると神楽のチケットを握った手があった。

「てめェ…」

「はい」

「いらねェって言ってんだろ。誰と行くんでェ」

「一緒に行けばいいダロ」

神楽が真っ直ぐな目で見上げてくる。

「…はぁ?」

「わたしも行ったことないアル。お前も無いならちょうどネ。ほら」

なおもチケットを押し付けてくる手に根負けし、紙を抜き取る。

「仕方ねェなぁ…。来週なら、休みあるけど」

ため息交じりに言うと、意外にも神楽はパァッと嬉しそうな笑顔を見せた。

「何曜日アルか!?銀ちゃんにお休みもらわないと!待ち合わせは?」

楽しそうにキラキラした目で問いかけてくる。沖田は思わず視線を逸らしてしまう。

待ち合わせの時間と場所を決めて、別れた。

 

「銀ちゃん!来週の土曜日お休みちょうだい!」

万事屋に神楽が飛び込むように帰って来た。銀時と新八はぎょっとする。

「な、なんだよ急に。万年休みみてぇなもんなんだから、勝手に休めよ」

「どこか行くの?」

ふふっと嬉しそうに笑い、

「水族館!あ、今から姉御のところ行ってくるネ!」

あっという間に飛び出して行った。

「なんだありゃ…」

 

「おい、総悟。来週の土曜、非番だろ。ちょっと頼まれてくれねぇか」

土方に話しかけられ、沖田はちらっと横目で見る。

「すいやせん、予定あるんで」

「そうか。珍しいな」

ムッとした顔で言い返す。

「俺にも予定くらいありまさァ」

「どこか行くのか?」

「あー…なんか新しくできたなんとか館?」

「あ!それ、大江戸水族館ですよね!?」

山崎が話に割って入る。

「大きな水槽があって、色んな魚が泳いでるんですって。すごく綺麗で、江戸のカップルの人気デートスポットらしいですよ!隊長混んでる場所嫌いなのによく行きますね?誰と行くんですか?」

沖田はジロッと睨む。山崎はヒィッと怯えて身構えるが、何もされない。

「あ、あれ?」

何もせず、沖田はその場を去ってしまった。土方は思わず吹き出す。

「デートスポットねぇ」

 

待ち合わせの土曜日は、晴れてお出かけ日和。

「いってきますヨー!」

神楽は元気に万事屋を出て行った。

「へいへい」

「気を付けてね!」

二人は神楽の背中を見送る。姿が見えなくなると、銀時は切り出した。

「…随分めかしこんでたじゃねぇか」

「かわいいですよね。神楽ちゃん、姉上のところでとっかえひっかえやってましたよ。」

「へー」

「銀さん、やきもちですか?」

からかうような新八の声に、ふんっとそっぽを向きながら椅子をくるりと回す。

「んなわけねーだろ」

 

沖田は少し早めに待ち合わせ場所へ向かうため、屯所の門をくぐろうとしていた。その時。

「隊長!沖田隊長!」

血相を変えた隊士が飛び込んでくる。只ならぬ様子。

「どうした」

「四番隊が過激派浪士と応戦中!怪我人が複数出ているようです!副長が今いなくて…」

後ろの門を振り返る。携帯を取り出すが、神楽の番号を知らない。おそらく持ってもいない。チッと舌打ちをし、

「行くぞ!どこだ!」

隊士と共に走り出した。

 

公園の時計を見る。待ち合わせの時間から30分が経った。

「あのバカサド。待たせるなんていい度胸ネ。山ほど奢らせてやるアル」

頬を膨らませ、何度も何度も時計を見る。先程から若い男が何人も声をかけてきて、うざったい。

「早く来いヨ、バカチワワ」

 

「やっぱり隊長はすごいっす!」

沖田の登場であっという間に場が沈静化される。血にまみれた刀を一振りして鞘に納める。携帯電話を開くと、待ち合わせ時間を1時間も過ぎていた。

「あとはてめぇらでやっとけ!」

浪士達の捕縛を隊士達に任せ、返り血と埃に汚れたまま公園に駆け出す。

気の短いあいつのことだ。早々に怒って万事屋に帰ったに違いない。まさか待っている訳が無い。

息が切れるほどのスピードで街を走り、待ち合わせの公園に辿り着く。

時計台の下。

ワンピース。編み込んだ珊瑚色の下ろし髪。小さなポシェット。

いた。いつもとは違う服装の神楽が。

息を整えながらゆっくり近づき、

「チャイナ」

と声をかけると、ドンと胸に衝撃が走る。痛みに眉を顰めると、顔を上げた神楽の大きな瞳は悲しそうにきらきらと光る。腕を掴もうとするが、あっという間にすり抜けて行く。

「おい!」

声をかけるが、こちらを振り返ることなく走り去ってしまった。ふいに足元からカサリと音する。丸まった小さな紙切れ。紙を広げると「大江戸水族館」の文字。沖田はしゃがみこんだまま、大きなため息をついた。

 

次の日、そのまた次の日。次の次。

用もないのにひょっこりと現れていた神楽は姿を見せなくなった。謝るべきとは思いつつ、わざわざ申し合わせて会うような関係でもない。きっかけがない。

たまたまあの日、一回限りの約束だった。

埃と血しぶきに汚れて予定より大幅に早く帰った沖田を見て、土方は心底申し訳なさそうに謝ったが、

「仕事なんで」

と一言で片づけて部屋に戻った。着物の裾から真っ新なチケットと、ぐちゃぐちゃになったチケットを取り出す。掌の2枚を見つめ、一瞬握り潰そうとしたが、指を緩めてそっと引き出しに仕舞った。

 

「これでいいアルかー」

『おーそのまま待っとれ』

手に長方形の薄い機械。耳にはイヤフォン、そこからは源外の指示が聞こえる。

今日の依頼は、試作品の実験。機械を持った手を柵から外に伸ばし、言われるがまま上げたり、振ってみたり、指令を淡々とこなす。

『おい。くれぐれもその機械、持ったまま高ぇ段差飛んだりすんなよ』

「はいはいヨー」

気のない返事を返す。

待ちぼうけをくらったあの日から、なぜだかやる気が出なかった。腹が立ったことは勿論だが、無性に気持ちが落ち込み、色々なことが億劫になってしまった。

銀時も新八も気を使ってか無理に聞き出すことは無かった。今日の依頼は、気分転換になっていいんじゃねーか、と銀時に当てこまれ、仕事内容も家の玄関から出来る簡単なものだったので、いいヨと請け負った。

あのバカチワワと顔を合わせる気分じゃない。

ぼんやりと機械片手に街並みを眺めていると、カンッ、カンッ、と階段を昇る音が聞こえる。目線だけをずらして気だるげに見ると、今一番会いたくなかった人物。黒い隊服。沖田が現れた。

「よう」

声を掛けられたが、ふいっと目線をまっすぐ戻す。

「何の用だヨ。銀ちゃんならいないアル」

素っ気ない言葉に沖田は一瞬言葉を止める。数秒の沈黙の後。

「てめぇに用があって来たんでェ」

「わたしは用ないアル。今仕事中ネ。邪魔すんなヨ」

「仕事中って、ぼーっとしてたじゃねェか」

睨みつけてやろうと思わず沖田の方を向いてしまう。

「うるさい!お前こそこんなとこでサボってんじゃねぇヨ!邪魔!あっちいけ!」

「てめぇこそちったぁ人の話聞きやがれ」

沖田が神楽の肩を乱暴に掴むと手の中の機械が揺れ、

『おい、嬢ちゃん!喧嘩してねぇでしっかり持ってろ!』

源外が声を荒らげる。

「ほら!クソサドのせいで怒られたダロ!」

「今俺が話してんだろ!」

「うっさい!バカチワワ!」

「とにかく話聞けってんだ!」

神楽の手の中の機械を沖田がひょいっと取り上げて、そのまま高く上げる。

『おいっ、嬢ちゃん!座標がやたら高くなったぞ!どうした!?』

「あーもうっ!返せヨ!バカサド!」

ぴょんぴょんと飛ぶが届かない。あの日の待ち合わせ。今の所業。怒りのリミッターも限界だ。

「こんのっ!クソバカ約束破り!」

思い切り蹴り上げる。沖田は片腕でガードをするが、蹴られた箇所がビリビリとしびれる。

「好きで破った訳じゃねェや!いいから聞けって!」

腕に当てられた片足を掴んで引っ張る。神楽が倒れかけて沖田が支えようと腕を掴むが、バランスが崩れる。階段の方に。

落ちる瞬間。沖田が胸元に神楽を抱え込み、そのまま二人は落下した。

 

強い衝撃が何度も加わった後、ようやく地面の感触を得る。

守られてダメージが少なかった神楽はすぐに起き上がり、倒れた沖田を揺する。

「おい!サド!大丈夫か!」

「…いって」

体制を仰向けに直し、ゆっくり体を起こす。ひとまず大丈夫のようだ。神楽はバレないように安堵の溜息をついた。

「お前がバカなことするからダロ!」

「てめぇが話聞かねェからだろィ」

また掴み合いを始めた二人は、言い争いながらも徐々に周囲の異変に気付く。

自分たちは万事屋の階段から落ちたはずだ。でも周りの風景は、見たことも無い建物・家。万事屋じゃない。さらに言えば、おそらく江戸でもない。神楽は血の気の引く感触を覚え、不安げに周りを見渡す。すると。

「さ、サド…。あれ…」

沖田の肩をバンバン叩く。声は怯え、手は震えている。ただ事ではない様子に指し示された方向を見ると、目を見開く。

手を繋いだまま、驚いた表情でこちらを見ている二人の男女。

見たことの無い服装。しかし、見たことがある顔。

沖田と神楽、二人と全く同じ顔をした男女が立っていた。


 

『ほっほっほ。実験のつもりがまさか成功しとったとはのう。いやー、やっぱり儂は天才』

「それどころじゃないアル!ここは一体どこアルか!」

どうやらこの事態は神楽が持っていた源外の機械によって起こったことらしい。

『だから気をつけろと言うただろうに。そこは別の時空じゃ。』

「時空ってなんですかィ」

『お、真選組の坊主も行っちまったのか。時空ってのはな、時間と空間の狭間だ。おめぇらはさながら、その海の中を漂う魚だな。例えばお前等がいるのは江戸だが、別軸では宇宙だったり、未来だったり、全く別の世界にも俺やお前等が存在する。お前等であって、お前等じゃねぇ人間が生きとるってことだな。』

「あー!もうよく分かんないアル!どうでもいいから元に戻してヨ!」

『そもそもこりゃ実験機でまだ使用する前提じゃねぇ。調べるからちょっと待ってろ。じゃあな。』

一方的に回線が切れた。

「ちょっと!じいさん!」

「訳分かんねェ」

溜息をつく沖田の胸倉を掴み、ガクガクと揺する。

「どうするアルか!お前のせいアル!」

「もうどうでもいいわ。俺達はこのままこの世界で元に帰れず死んでくんだろ…」

目の光を失い、脱力して為されるがままだ。

「暗くなるナ!諦めるナ!しっかりしろ!」

どんよりした沖田をなぜか神楽が励ます形になっている。

少し離れた場所で、そんな二人を引き気味に見ている男女の声が聞こえる。

「…本当に私たちそっくりアル」

「まぁ、妙な服着てるけどな」

神楽と同じ顔の人物はセーラー服を着てメガネをかけており、沖田そっくりの男は「S」と書かれた妙なTシャツを着ている。

「ひとまず一時休戦でェ」

「そうアルな。まずは…」

二人に近づき、それぞれの肩を掴んでどす黒く笑った。

「「おまえらの家、どこ(でェ)(アルか)」」

 

「江戸?侍?意味わかんねェ」

「お前、俺のそっくりさんの分際でなんか偉そうでムカつくんですけど」

「そりゃ俺のセリフでェ!突然人の家に押しかけやがって、ふんぞり返ってんじゃねェよ」

「とりあえずそのクソださいTシャツ脱いでくんねェ、偽沖田。似たような顔で胸糞わりィわ」

「偽沖田ってなんでェ!そりゃてめぇの方だろ!」

沖田達は、全く同じ顔でくだらない言い争いを繰り広げている。一方神楽は、メガネをかけた自分そっくりの少女を覗き込む。

「本当にそっくりアル…。お前、名前なんていうネ?」

「神楽アル」

「名前まで一緒ネ!じゃあわたし神楽って呼ぶから、お前はグラちゃんって呼んでヨ」

「うん!いいヨ」

きゃっきゃとすっかり意気投合している。

一先ず、通称・偽沖田の家までやって来た。源外から連絡が来るまでの間、待つ場所が必要である。二人を半ば脅すような形で、家に上がり込むことに成功した。

神楽は目の前の少女をじっくりと見る。

名前も顔も全く一緒。自分であって、自分じゃない。これが源外の言う、別の時空ということなのだろうか。

『おい、嬢ちゃん』

「源外じいさん!戻る方法分かったアルか?」

『あー、今から言う場所にそっちの時間で明日の昼10時に行け。お前さんの持って行った機械とイヤフォン、忘れるなよ。いいか、今お前等がいる場所から南に500メートル…』

「え?ちょっと待って…」

メモを取ろうと焦りながら辺りを見回すと、

「調べてやる。いいから話続けろィ」

沖田そっくりの男を見て、神楽が頷く。

「じいさん、教えて」

源外から指示が飛び、男が携帯の画面を操作する。

『じゃあ、また明日。遅れずにな』

回線が切れた。操作の手を止め、携帯電話の画面を差し出す。

「ここだな」

沖田と神楽は画面を覗き込み、目を見開いた。

地図の上。赤いマークがついている。

そこには『大江戸水族館』と書かれていた。

 

「寝床恵んでやったんでェ、感謝しろ」

返事は無い。同族嫌悪と言うべきか、二人の沖田は終始ギスギスしていた。

溜息をつき、背中を向けて就寝しようとすると。

「…てめぇ、なんであのチャイナそっくりの女と手ェ繋いで歩いてた」

唐突に沖田が切り出す。数秒黙った後。

「…付き合ってんだから当たり前だろィ」

「…はぁ?」

 

「付き合ってる!?あのサドそっくりの男とアルか!」

お泊り会のように布団を並べている女子チーム。神楽は驚いて隣を見た。

「…まぁ、そうアルな。」

なぜか顔を歪めて嫌そうに答える。

全く自分と同じ顔・名前のこの子は、沖田そっくりのあの男と付き合っている。

なんだか妙な気持ちになる。

「…どこが良かったんだヨ」

神楽の言葉に、ふふっと笑う。

「ほんとアルな。なんでかナ」

「…どうやって付き合ったアルか」

質問に空中を目でキョロキョロさせた後、

「…あー、なりゆき?」

歯切れ悪く答えた。そっか…と考え込む神楽に、尋ね返す。

「そっちの沖田とは付き合ってないアルか?」

あからさまにわたわたと動揺し、

「つ、つ、つ、付き合うとかありえねーアル!あんなバカチワワ!そもそもあいつのせいでこんなことに…!」

精一杯答える様子を見て、もう一人の神楽はケラケラと笑った。

「なんで笑うアルか」

「やっぱりわたし達、似てるアルな」

神楽が寝返りを打って向かい合うと、まるで鏡を見ているようだ。

「沖田のこと、嫌い?」

思いがけない質問に目を伏せる。

「好きとか、嫌いとか、そんなんじゃないアル…」

「そっか…。ねぇ、二人はこれからも一緒?」

問いには答えられない。考えたことも無いから。

街で会い、喧嘩をして、たまには一緒に何かを食べて。

いつまで?

こんな日常は、ずっと変わらず続くような気がしていた。

「…考えたことないアル」

「そうネ…。私たちはね、あと半年したら離れ離れアル。…遠い国に行くから」

 

「だから付き合ったってのかィ」

背中合わせで静かに問う。こちらの世界の神楽は、3月が来れば遠い国へ行くらしい。

少しの沈黙の後、もう一人の沖田は静かに話す。

「それとこれとは別の話でェ。…てめェこそ、一緒にいたあの女とどうなんでェ」

「どうもしねェよ、あんなブス」

ぶふっ。こちらの世界の沖田が吹き出す。

非常に不愉快だ。

マウントを取られているようで、気分が悪い。

「…何笑ってんでェ」

「いや、やっぱり顔も名前も一緒だと、似るのかねェ」

 

二人の神楽は向かい合いながら、話を続ける。

「でも、お前は離れたくないんダロ。なのに、なんで…」

「仕方ないアル。高校卒業したら、戻る約束ネ。こっちの世界では、わたしの気持ちだけじゃ決められないアル」

同じ顔をしているから分かる。笑っていても、瞳が、心が、悲しいと言っているのが。

それなのにどうして。

手を伸ばして、握る。

「そんなの分からないアル。好きなら、一緒にいたいなら、そうしろヨ。無理して、黙ってんじゃねぇヨ。そんなのらしくないネ。お前が、決めていいんダヨ」

強く握られた手、強い言葉。まるで心の声を代弁してくれているよう。

もう一人の神楽はありがとうの気持ちを込めて、握られた手をもう片方の手で包み込む。

「…そうネ。わかったアル。じゃあ私からも。もうちょっと、素直になった方がいいアル。いつまでも一緒にいられるのは、当たり前じゃないヨ」

鏡のようなもう一人の自分が、何を言いたいかが分かる。心の奥で、見ないふりをしている気持ち。温かい手に、泣きたいような気持になる。

ずっと怒っていた訳じゃない。悲しかっただけ。

着物についた返り血のシミと土埃を見て、きっと誰かを助けるために来れなかったんだろうとすぐに分かっていた。いつも飄々としているあの男が息を切らして走って来てくれたこと、すごく嬉しかった。でもみじめで、恥ずかしくて、素直に顔を合わせられなかった。一緒に出かけることを楽しみにして、想像以上に浮かれていた自分に気が付いたから。

繋がれた手をぎゅっと握って、眠りについた。

 

「ふおー!すごいアル!」

神楽は広大な敷地を飛び跳ねるように歩く。

地面は無数のカラフルなタイルが可愛らしい模様を形作っている。

水色。ピンク。白。カラフルなボタンを一つ一つ押すように、楽し気に踏む。

江戸では見たことも無い、白く変わった形の建物。大きなガラスが無数に貼られ、光に反射してキラキラと輝いていた。

ここが水族館。

楽しいのに、胸のどこかがズキリと痛む。あの日、行く予定だった場所。

建物の入り口には、隊服と私服の沖田達が立っていた。

照れ臭くなってしまい、少し俯いて足取りが重くなるが、

「行こう」

と手を引かれる。隊服を着た沖田がこちらを見る。

「…なんでェ、こっちの服に着替えたのかィ」

「そうアル!かわいいダロ!」

こちらの世界の神楽が、自慢するように胸を張る。

朝から、着替えだメイクだと着せ替え人形になった。

薄桜色のワンピース。少しヒールのついた白いパンプス。髪はみつあみを組み合わせてお団子のようにまとめてもらった。少しだけ残した耳元の髪がこそばゆい。

しかし、二人の沖田は一瞥しただけで興味なさげに、

「無駄口叩いてねェでさっさと行くぞ」

スタスタと水族館の中に入って行ってしまった。

また胸に痛みが走る。別に、褒めて欲しくて着たわけじゃない。でも。

かわいい服、普段はしないメイク。

(あいつ、本当に興味ないアルな。わたしに)

落胆する神楽の気持ちを見透かすように、もう一人の神楽が覗き込み、

「違うアル。かわいいから、照れてるんだヨ」

とにっこり笑った。こちらの世界では18歳。同じ見た目でも、やはりどこかお姉さんな気がする。

「別に、あいつのために着た訳じゃないモン」

顔を背けて、水族館へと足を踏み入れた。

館内は魚や、貝殻、色々なモチーフが散りばめられ、天井も高い。キョロキョロ見回していると、耳元のイヤフォンに雑音が入る。

『おい、嬢ちゃん。着いたか?』

「今着いたアル。」

『よし、じゃあそのままそこで待ってろ。正確な座標が必要だ。すぐに動けるようにその建物から動くなよ』

ふと周りを見ると少し離れた場所に、薄水色のシャツを着た沖田が一人で立っていた。驚いて、パチパチと瞬きをする。

「…もたもたすんな」

なんとなく気まずく、後ろをついて歩く。曲がり角を曲がると、水が大きな絵画のように飾られていた。乱反射で水面の模様を作って、キラキラと目に銀色の光を横切らせる。初めて見る水槽。

「すごいアル!この水、なんで出て来ないアルかッ!?」

ペタリと水槽を触る。まるで水を固めたゼリーのよう。反射し続ける水面の輝きは綺麗で、本当に不思議だ。

すると、突然頭上から黒い物体が素早く横切る。

「わ!」

驚いて後ずさると、水中をくるりと回転し、次はゆっくりと目の前にやってくる。

くりっとまんまるの瞳。まあるい形の頭に、魚のようなフォルムの身体。

こんにちは、あそぼ、と言うように顔をこちらに向けてゆらゆら揺れている。水槽の中からは、キュイッキュイ、とかわいらしい鳴き声も聞こえる。

「ふおー!かわいいアル!こいつら何アルか!?わー、こっち見てるアル!」

目の前の生き物に夢中の神楽に、背後に立った沖田が話しかける。

「ここに来る約束、してたんだろ」

背中を微かに揺らした後、少し肩を下げて口を開く。

「…まぁ、すっぽかされたけどナ」

神楽の悲しそうな瞳に、水槽の中の生き物は、どうしたの、と寄り添って離れない。

大丈夫だよ、と少し微笑んで、掌をぎゅっと握る。

「…一緒に行きたかったアル。ずっと、楽しみにしてたネ。約束してから、ずっと。だから…」

 

ガガッと耳元から音がする。

『嬢ちゃん。そろそろ行くぞ。その建物の中に、イルカプールって場所があるはずだ。そこまで進んで待ってろ』

「わかったアル!」

視線を合わせると、一緒に駆け出した。

「どうしたアル!?」

こちらの世界の神楽が振り返る。

「イルカプールって、どっちアルか!?」

「あ、あっちヨ!」

指さす方向。大きな屋根のあるオープンスペース。

「おい!サド!…あ、あれ?どこ行ったアルか!」

沖田達の姿が見えない。もう一人の神楽はため息をつき、やれやれと呆れたように溜息をつく。

「全く。バカな男達アル。…ちょっとは話せた?」

やっぱり。こっちの私も、気づいていたのか。

「…相変わらずヘタレチワワだったアル」

 

二人の沖田は、互いの服を交換する。

「何か聞けたかィ?」

「…余計なお世話でェ」

からかうようなこちらの沖田にぞんざいな返事をする。

「あんまり意地張ってると、良いことねェぜ」

「うっせェ」

いちいち上から目線の偽沖田にイライラしながら、乱暴に隊服の上着を羽織る。

たった一度の約束も守れず、水族館一つ連れて行ってやれない。

神楽が呟いた本音に、余計苛立ちが募る。

「てめぇは、なんて言った。あのクソチャイナに」

もう一人の沖田は意地悪に笑った。

「教えねェ。それぐらい、てめぇで考えやがれ」

 

ようやく戻って来た二人の沖田に、神楽が怒鳴る。

「もう!お前等どこ行ってたアルか!男二人でブラブラしてんじゃねーヨ!」

『嬢ちゃん、そろそろ行くぞい。機械、手に持ってんな。それ持ったまま、たけぇ場所から飛び降りろ。二人同時の転送は負荷がでけぇ。バラバラに転送されねぇように手でも身体でもくっつけて離れねぇようにして飛べよ。じゃねぇと、機械持ってねぇ方が転送先に取り残されんぞ』

源外の言葉に、神楽の身体がビクッと震える。

そして真っ直ぐに沖田を見据え、機械を持った手を差し出した。

「お前が持てヨ。ここに連れてきたのは、わたしアル。もし離れてもこれがあれば…」

沖田は目の前の小さな手を見て少し考えた後、機械を受け取るともう片方の手で神楽の手を強く握った。

驚いて顔を上げると、真っ直ぐな緋色と目が合う。

「俺が持つ。俺ァこの機械も、てめぇの手も、絶対離さねェ。てめぇも、絶対離すんじゃねェぞ」

胸が大きく鳴り、言葉の代わりに手を強く握り返した。二人は屋根の付いたプールに向かって駆け出す。神楽は途中で振り返り、手を振る。

「こっちの世界のわたし!ありがとうアル!」

「そっちのわたしも!元気でネ!」

 

二人の背中を見送った後。

こちらの世界の神楽は先程まで珍妙な服を着ていた恋人を横目で睨みながら尋ねる。

「…お前、なんであんな変な服着てたアルか」

「…ヘタレなあっちの俺を助けてやっただけでェ」

沖田の返答に、呆れて溜息をつく。

「あっちもこっちも沖田って生き物は同じなんだナ。この水族館に毎週末誘って来て、周りにバレたら付き合ってるって勝手に言いふらして、問い詰めたら『毎週会ってんだから付き合ってるだろィ』ってクソダサい外堀の埋め方したの誰アルか。恥ずかしすぎて誰にも言えないネ、このヘタレチワワ」

「そんなチワワに誘われて、毎回ノコノコやって来たのはどこのバカでェ」

「そのバカに惚れてるやつの方が大バカアル」

「そんなやつどこにいるんでェ。俺ァ付き合ってるだけでェ」

「ほんっとに口の減らない男アルな!」

「お互い様だろィ」

お互いぷいっと反対方向を向く。素直に。あの神楽にそう言ったのは自分なのに。

こちらを向かない亜麻色の後頭部を見て、思い直す。

水色のシャツの端を掴んで引っ張ると、不服そうな顔がこちらを横目で見る。

「なぁ、沖田。わたし…帰らなくてもいいアルか」

「初めてだってのに随分大胆に誘うじゃねェか。じゃあその辺のホテ」

ボクッ!

握った拳で思い切り頬を殴りつける。

「そういう意味じゃねぇヨ!この発情期!」

全く信じられないデリカシーの無さ。本当にこんな男のどこがいいのか。

殴った手をもう片方の手で握りこみ、俯きながら告げる。

「…言われたアル。あっちの私に。卒業しても、自分の好きにしたらいいって。その方がわたしらしいって。だから、ここに居ようと思うアル」

頬を抑えながら無表情で聞いていた沖田は、神楽の手を握る。見上げると、

「いいんじゃねェ」

と笑った。普段笑う事の少ない男が心底嬉しそうに。

胸の中が嬉しいと音を立てて動き出す。やっぱり理屈も理由もない。

「パピー、ごっさ怒るアルな」

「一緒に行ってやらァ」

「お前、多分半殺しになるゾ」

「返り討ちにしてやるから問題ねェよ」

意地悪そうに笑う顔に、また鼓動が早くなる。

周囲をきょろきょろ見回す。開館直後で順路を逆に来たから、周りに人はいない。いるのはガラスの向こうのペンギンだけ。繋がれた手を数回引っ張り、顔を上げて見つめると、沖田の顔がゆっくり近づき、ほんの一瞬だけ唇が重なった。

 

沖田と神楽は、大きな屋根のオープンスペースにたどり着く。

無数の階段。観客席。遥か階下にはプールがあり、先程神楽に挨拶をしてくれた生き物が高いジャンプを見せている。

「あ!あれ!さっき水槽で見たやつアル!」

『てめぇら、着いたな。いいぞ!飛べ!』

二人は目を合わせた後、一旦階段から離れて助走距離を取る。階段はかなりの傾斜と段数があった。高低差は十分だろう。

「行くぞ」

沖田の声を合図に、一気に駆け出す。階段の最上段。同時に思い切り踏み込み跳躍する。落下する直前沖田が神楽を抱き込むと、すぐに浮遊感が襲いかかる。そして、猛スピードで落下していった。

 

抱き合う形で投げ出され、思い切り地面にぶつかる。

「わっ!」

「いってェ」

強く打ち付けられた二人は、身体を摩りながらゆっくりと起き上がる。

「着いたアルか…?」

『すまねぇ。失敗しちまった。違う時空に落ちちまったらしい。そこはな』

源外の話を遮り、二人は目の前の光景にくぎ付けになる。

「ふわぁ…すごいアル…」

「なんでェ、ここは」

自分達の背より何倍も高く、広い。一面の巨大水槽。薄暗い広大な部屋に、青とも緑とも言えない鮮やかな彩色が光を放ち、ゆらゆらと水面の模様を形どって煌めく。

水の中には、黄、赤、青、銀。大小様々な魚が数えきれないほど優雅に漂い、底には白く細かい砂と極彩色の植物。コポ、コポ、と海の中の音が聞こえる。

まるで二人だけ海の中に投げ出され、沈んでいるようだ。

どちらともなく手を繋いで、ぼんやりと目の前の海に見惚れる。

『おい、聞いとるか!すぐ近くまで来とる。次で戻れるはずだ。そこにもさっきと同じイルカプールって場所がある。そこに向かえ!』

源外の声に気を取り戻し、ぱっと手を離す。視線を遠くに向けると。

「あの看板!あの生き物のマークアル!」

「行くぞ」

沖田が走り出す。神楽が立ち上がった瞬間、目に水槽からの強い光が二度、三度ぶつかる。

「あ!」

思わず目がくらんでしゃがみこむ。何度か瞬きをすると目の中の点滅が消えた。ようやく立ち上がるが、沖田の姿が見えない。

「待って!サド!おい!どこアルか!」

深い深い海の中に一人ぼっちで取り残されたような気持ち。

急に不安になり、迷子の子供のように大きな声で叫ぶ。

「サド!」

部屋の中間にあった扉から、人影が飛び出した。

亜麻色の髪。緋色の瞳。

「チャイナ…?」

沖田だ。ひどく驚いた顔をしている。

「お前、サド…?」

神楽は戸惑いながら近づく。何かがおかしい。

だって。

自分が知っている沖田より、ずっと背が高い。体つきも違う。顔も大人びている。

目の前まで歩み寄り、そっと腕に触れようとすると。

「てめぇ、他所の男ナンパしてんじゃねェよ!」

横から手を掴み取られ、あっという間にその場から連れ去らわれる。自分の知っている沖田だ。

強い力で引っ張られながら、後ろを振り返る。

遠ざかる自分たちを、もう一人の沖田は見つめていた。

 

様々な水槽の部屋を走り抜ける。風景は沢山の水槽と生き物でカラフルに流れていく。

ようやく屋外に出ると、先程見たような屋根付きのオープンスペース。

『着いたか!?もう一回だ!思いっきり飛べ!』

飛ぶ前に、沖田はさらに手を強く握る。驚いて見上げると、

「おい、チャイナ。帰ったら話ちゃんと聞けよ」

まっすぐ前を向いたまま言った。返事を交わすことなく、一斉に駆け出した。

 

抱き合った二人は三度投げ出され、地面にぶつかり土埃が舞う。

「着いた…アルか」

「だな」

見慣れた万事屋の階段。お登勢の看板。かぶき町の街並み。

『着いたな。後で機械持ってきてくれよ。じゃあな。』

プツンと通信が途絶える。神楽がイヤフォンを外して安堵の溜息をついた。

「はぁ、良かったアル。でも、すごかったアルな!あの」

沢山の生き物。水槽。見たことのない景色。水族館。

笑顔を向けて、気が付いた。そうだ、喧嘩してたんだった。言葉を途切れさせると、沖田が俯き加減で気まずそうに口を開く。

「…この間、悪かった」

隊服のポケットから取り出されたのは真っ新なチケットと、皺だらけのチケット。

「次の土曜、休みもらったから」

心が勝手に音を鳴らす。そんな自分に腹が立ち、口を尖らせてそっぽを向いた。

「…どうせ、またすっぽかすんダロ」

「そうかもしれねェ。仕事だって言われりゃ行かなきゃならねェ」

「はぁ!?お前…!」

聞きづてならない。普通、嘘でも絶対行くと言うものだろう。誠実なのか正直者のバカなのか。苦い顔で睨みつける。

「またすっぽかしちまっても、何回でも誘う。ほら」

再度胸ポケットに手を入れると、大量の紙切れを出した。印刷されているのは同じデザイン。全てに『大江戸水族館』と書かれている。

神楽は目を丸くした。ぷっと吹き出す。どうしてこんなに沢山買ったのか。バカバカしい。

でも嬉しくて、思わず笑ってしまう。これがこいつの精一杯だと分かるから。

「またすっぽかしたら、次からは焼肉奢れヨ。あと、もう10分しか待たねーゾ。」

手元のチケットを呆れたように覗き込む。

「まったく…こんなにチケット買ってどうするアルか」

「別に、何回行ってもいいだろィ」

あんなに行くことを渋っていた癖に。沖田はそっぽを向いていた。その表情を見て、ニヤリと笑う。

「ま、仕方ないから友達のいないチワワに付き合ってやるアル。あ、あのピョンピョン飛ぶかわいいやついるかナ」

「あのでけぇ水槽も、凄かったな」

「な!同じのあるかナ」

「見に行こうぜ。一緒に」

低く呟く声に、胸がドキドキと忙しい。

赤くなった顔を見られないように、乱暴に立ち上がる。

二度目の約束。チケットがこれだけあれば、多分大丈夫だろう。

「来週は遅れてくんなヨ!」

「へいへい」

「腹減ったナ!この間の詫びに奢れヨ!焼肉」

「仕方ねェな」

沖田もやれやれと立ち上がり、二人は連れ立って歩き出した。

 

巨大水槽の前。

目の前の懐かしい風景を見送った沖田の足元に、小さく柔らかい生き物が抱き着く。

「パピー?どうしたの?」

お団子頭の女の子が、不思議そうに見上げている。腕を伸ばし胸元に抱きかかえてやると、後ろから声がした。

「急に走り出してどうしたアルか」

腰まである長い珊瑚色の髪。白いロングのチャイナドレス。

神楽が呆れたような表情を見せている。

沖田はもう一度、14歳の神楽が18歳の自分に手を引かれて出て行った出口を見つめる。

小さくて可愛らしい少女と、殺気を込めてこちらを一瞬睨んだ自分。

(バカだな、俺ァ。自分で自分を睨んでたとも知らねェで)

自嘲気味に笑う。

「…珍しい生き物がいてな」

「いきもの?どこ?おさかな?かわいいやつ?」

きょろきょろと巨大水槽の中を探す。

もういない。いや、正確に言えばいる。ここに。

「そうだな、かわいいやつかもな」

「パピー!つぎ、イルカさんみたいアル!」

「おめぇは本当に好きだな」

「マミーもいちばんすきっていってたヨ!ねー」

「かわいいよナ!マミーが初めて水族館行った時に寄って来て挨拶してくれたんだヨ」

「いいなぁ、いいなぁ」

腕の中で上下にぴょこぴょこと暴れるので下ろしてやると、目の前の巨大水槽にかけて行った。魚を追って右に左に夢中でウロウロしている。

隣に並んだ神楽はニヤリと笑って、覗き込む。

「お前と何回も来たアルな。チケット山ほど買っちゃったから」

「その話はしなくていい」

沢山買ってしまったチケットを口実に何度も誘い出した。黒歴史を持ち出すのは勘弁してほしい。

「なぁ」

「ん?」

一瞬だけキスをする。

巨大水槽はあの日と同じように、水面を屈折させてキラキラ光った。

「何すんダヨ」

「いや、かわいい生き物がいるなと思って」

「…おまえの嫁ダロ」

頬を少し膨らませて、口を尖らせる。

「パピー!マミー!イルカさんみにいこー!」

「はいはいヨー」

顔を見合わせて、どちらともなく手を繋ぐ。しっかりと、離れないように。

また時空の海に投げ出されても、二人で戻れるように。

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