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NOVEL

形から始まる恋もある 

16,335 文字/1p

 

葉連季/テーブルガーデン

1814の沖→神設定で、沖田が神楽に偽装彼女の依頼をもちかけるお話。

おでかけを重ねる中で二人の仲はどう変わるのか?少しでも楽しんでいただければ幸いです。


注意事項:攘夷浪士との戦闘シーンを含むため、傷害・流血の描写がございます。苦手な方はご注意ください。

定春の散歩をしていた時のことである。

神楽はかぶき町の商店街の一画に見たことがない店構えを見つけて目と足を止めた。

 

ギラギラごてごてした歓楽街のネオンとは一線を引いた、素朴で柔らかな色合いの三角形のガーランド。

コットンの海に浮かぶ大地色のクッションに並べられた女性ものの雑貨たち。

きれいに磨かれたガラス越しのその世界に目を輝かせてから、入口に書かれている店名を小さく読み上げる。

漢字はまだ難しくともひらがなとカタカナなら問題ない。

 

「プチベール」

 

店舗というものは土地または建物に対して、月ないしは年単位の賃貸契約を締結し営業するものである。

この区画はあらかじめ契約期間が三ヶ月~半年間と設定されており、そこに至るには次の過程があった。

 

まず、土地が狭小なこと。

地主は使い勝手が悪くなかなか借り手が見つからないこの土地をどうにかならないものかと町内会に相談していた。

次に、かぶき町に出店したいという声が多くあったこと。

実は近年その声が増えていたのだが生存競争が激しいため三ヶ月と経たずして閉店するのもざらである。それなら空き地を利用して期間限定店舗として募集するのはどうかという声が町内会で上がった。

 

そしてかぶき町四天王の立ち会いのもと地主と商店街と出店希望者の意見交換会が開催され、一部の区画を期間限定店舗の出店地として運用することが決定したのである。

そんな紆余曲折を神楽はもちろん知らないのだが、実は彼女が見つけたまさにこの店が運用第一号であったりする。

 

(かわいいものばっかりアル)

 

口内で呟き目をキョロキョロさせていると自動ドアが開き、こんにちはと声をかけられた。

小柄で丸顔の女性はこの店の店長だと言い、神楽は聞き慣れないイントネーションに促されるまま店内へ足を踏み入れる。

飾られている商品は買い付けと手作りが半々だとの言葉を聞きながら、近くに陳列されていた花のイヤリングにしばし魅入る。

手に取りたいのは山々だが壊したら弁償できない。欲しいものがあったとしても手持ちどころか貯金もないので買えない。

 

ひっそりと肩を落としてそそくさと出ようとすると、こんなのもやってますんでーとチラシを渡された。

それは先着限定で好きな写真やイラストから雑貨を作るというもので、値段はそこそこする。

もし良かったらどうぞーとにこやかに言われ、ありがとうございますヨーと微笑み返し。

そうして店を出て近くの電柱に繋いでいた定春のリードをほどき、チラシを見てため息を吐いた。

 

「絶対かわいいアル……なんでうちにはお金が無いのヨ」

 

するとぴっぴっぴっと憎たらしいほど小気味良い笛の音がしたので、神楽はそちらを見やる。

半眼になっていたのは悪い予感がしたからで、しかもそれは当たるもので、うげっと低く呻いた。

 

「はーいそこー、通行人の邪魔でさぁー」

 

神楽の天敵とも呼べる男・沖田総悟が近付いてくる。

片手をポケットに入れながら間延びした声で注意喚起という気合いの抜けた勤務態度はともかくも、今日は真面目に公務に励んでいるらしかった。

 

「道の端に寄りな。そのままかぶき町のずっと端まで寄って江戸から出てってもいいんだぜィ」

「女王がどくわけにいかねーだロ。そっちが消えろド腐れ公僕」

 

悲しみが苛立ちに変わって今の神楽は虫の居所が悪い。

それをものともせず、機嫌が悪いのはあの日だからかぃ?とセクハラ発言をかましてくるところが、沖田が天敵たる所以のひとつ。

そして神楽の天敵は定春のそれでもある。よぅサド春君、との呼びかけには犬歯をむき出しにして唸った。

ペットは飼い主に似るとはよく言ったものである。

 

沖田は神楽のチラシに気がつくと覗き込み、ふーんと声を上げた。

国宝級イケメンと呼び声高いその顔が近付いた分だけ、千年に一人の美少女ともてはやされる顔が遠ざかる。

 

「こういうの興味あんの」

「……あったら悪いかヨ」

「ウケる」

「しばくぞ」

 

トーンも低く返せば定春の唸り声も大きくなる。

神楽は沖田から視線を引き剥がして再度チラシへと落とした。

 

「ジリ貧の万事屋にしちゃあ高い買い物なんだろうねィ」

 

その言葉に取り合うと惨めな気分になるので無言でやり過ごすことにする。

諦めるように目を閉じてチラシを折り畳もうとしたその時だった。

 

「だったら俺が買ってやろーか」

 

その申し出の、なんと上から目線なこと。

これでせせら笑っていたり揶揄の色がありありとわかる表情なら即座に撃ち落とすところだが、それは見えなかった。

神楽は胡散臭げに問い返す。

 

「なに企んでるアルか」

「まぁそう疑いなさんな。実はお前に個人的な依頼をしようかと思ってんでぃ。もし受けるなら報酬としてそれを買ってやろーかと」

「依頼?」

 

ますます怪しい。

神楽の眉間に皺が寄る。

 

沖田を始め真選組と関わるとろくなことがない。

しかも今回は超トラブルメーカーの筆頭からの個人的な依頼である。

なにを言われるかわかったものではない。

 

それでも全力で断ることを即座にしなかったのは、報酬の内容があまりにも魅力的だったから。

沖田を睨みながら葛藤していると、あーらら?と相手が小首を傾げた。さらりと落ちる亜麻色の直毛。

 

「俺の依頼にびびってるって面だねぃ」

「ハン、誰がお前なんかにビビるかヨ」

「そうかぃ?目つき悪ぃしむすっとしてるし……あぁ、ただのブスなだけだったわ。これは失礼しやした」

「誰がブスじゃゴルアアアア!!」

 

巻き舌で絶叫した神楽は沖田の首をがっと掴む。

執事然と胸に手を当てて見せた一礼が嫌味ったらしいことこの上ない。

絶対引き下がるものかと、眦を裂いて口元を引きつらせながら宣言する。

 

「万事屋ぐらさんなめんなヨ!どんな依頼でもきっちりこなしてやるからさっさと言えよコノヤロー!」

 

それを聞いた沖田が片頬を上げて笑った。

ちなみにその胸中では、かかったとどす黒く嗤っているのだが、それは彼女が知らなくて良い事実。

 

「報酬は前払いだ。とっとと注文してこい。ここにいるから会計の時に呼んでくれや」

 

その気が変わらぬうちにと、神楽は手首に通していたリードを外して電柱に繋ぎ直す。

なにかされたら噛み殺していいからネと定春に言い置く神楽に、信用ねーなァと軽く突っ込む沖田。

その声の響きがなんとなく気になって、店に入る前にちらりと後ろを振り返る。

 

沖田が餌付けのために定春の鼻先にビーフジャーキーを差し出し、最近ペットフードを十分に食べられていない定春が滝の涎を垂らして沖田にすり寄ろうとしていた。

自分と同じような買収現場を見たことと、気にして損したという二重のため息を神楽が吐く。

 

(アホらし)

 

再度入店した神楽は無事に最後の一枠に滑り込んだ。

要望をしっかりと伝え申し込みを済ませ、支払いの段階になって沖田を呼ぶために入口へと向かう。

そこで、定春の足下に複数の空き袋が置かれているのが見えた。

沖田にしっかりと餌付けされてしまったようで大人しく撫でられている。

 

顎を傲然と上げた、嘲笑にも取れる粘着質な沖田の笑み。

こちらに向けられたそれは一層深さを増したように思えて、神楽はむかっ腹が立つ。

 

女に二言はない。どんな依頼が来ようが絶対に解決してみせる。

きゅっと口と心持ちを引き締めると、沖田を指差し下腹部に力を入れて朗々たる声を響かせた。

 

「サイフ!来い!」

 

周りの視線など知ったことか。


 

**********


 

偽装彼女になること。

これが沖田から神楽への個人的依頼だった。

 

沖田総悟は真選組きっての美男子である。

それは江戸全体で見てもそうであり、道行く女の多くは年齢問わず彼に見惚れる。

贈り物や恋文が渡されることも日常茶飯事だが、目下気になる女といえば奇妙なアルアル語を喋る小憎たらしい万事屋の少女ただひとりだけ。

そのためそれ以外の好意は須らくすげなく断っている。

 

そしてここ最近はとある女につきまとわれていた。

その見た目は派手ではなくどちらかというと地味で、万事屋の眼鏡や真選組の監察方に近いものを感じる。

行く先々で必ず声をかけられ、頑張ってくださいとの労いの言葉と菓子や飲み物を差し出される。

そーいうのいらないんでと拒否し続けるも相手は懲りずにやって来る。

 

こんな自分にどんな夢を見ているのか。

もしともに人生を歩みたいというならそれは地獄への片道切符だというのに。

いい加減鬱陶しくなったので、女には自分を諦めさせる方向へ持っていくことにした。

 

そこで神楽への依頼へと繋がる訳だが、これは諸刃の剣。

二人は今後そういう関係にはなりえないという見えない前提が横たわっている。

沖田はそれをちゃぶ台のごとくひっくり返す気満々だが、神楽はそれを雰囲気通り額面通りに受け取る可能性が高い。

素直もとい馬鹿だから。

 

(まぁ、なるようになんだろ)

 

沖田も頭で考えるのは向いていない。

とりあえず神楽とのおでかけを満喫することに決め、いつものベンチに座る。

待ち合わせ時刻の二分前になって公園の入口に紫色の傘を見つけた。

気分が高揚するのは誤魔化しようがない。

 

膝丈の赤いチャイナ服に黒のズボン、そして肩から斜めがけした小振りのポシェットが腰のあたりで揺れていた。

それは件の雑貨店でオーダーメイドした、定春デザインのポシェットである。

黒の細いベルトが顔の両脇に着いており、白の布素材に顔のパーツが刺繍されている。

その開いた口からは、あおんっと今にも鳴き声が飛び出しそうだ。

 

俺と出かける時は必ず身につけて来い。

その言いつけをきちんと守っていることに感じる優越感。

近付いてくる表情が幾分か硬いのは緊張しているからと思うことにする。

 

「よう。話した時は吐いてたのにちゃんと来たな」

「引き受けた依頼はきっちりこなすのが万事屋銀ちゃん、違った、ぐらさんの売りアル」

「ブレブレだな」

 

座れば、とベンチを叩いて神楽を促す。

腰を下ろしたその距離はこれまでと同じだったので沖田が少し距離を詰めようと動く。

するとぎょっと目を見開かれ、身体を後ろに引かれた。

前途多難だとガラスのハートがごく小さく傷つく。

 

「俺とお前は?」

「……ギソー……カ、カ、カノ……うぷっ」

 

彼女という単語がそんなにおぞましいか。

口元を抑えて身を屈めた姿に、ガラスのハートがピシイッと全体的にヒビが入る。

精神力を総動員して踏みとどまると、袖の袂から折り畳まれた紙を取り出し神楽との間にそれを広げた。

それなんだヨと不審げに尋ねてきたので、沖田は答える。

 

「おでかけあみだくじ」

 

その紙には五本の縦棒が引かれており、その途中は別の紙で隠されている。

ちなみにその下にはおでかけ候補として、遊園地・水族館・映画館などを書いてある。ベタだと言うなかれ。

紙と沖田の顔を交互に見比べる神楽に、好きなとこ選びなと告げれば顔が明るくなった。

喜色を隠しきれていないその表情に、現金だねィと心中でこぼす。

 

白くて丸い指先が楽しみながら迷っている。

それを見守りながらどこか懐かしい気持ちになったのは、幼い自分を神楽の中に瞬間見つけたから。

亡き姉と武州で二人遊びをしたことを思い出し、指先の行き着く先をじっと待つ。

 

「ど、れ、に、し、よ、う、か、な、て、ん、の、ま、み、い、の、い、う、と、お、り!ここにするアル!」

「じゃあ答え合わせといくかぃ。そのまま進みな」

「うわ、横線大量に足しやがったアルな。細かくて訳わかんなくなりそうネ」

「あっさりわかるのも面白くねぇし」

 

指先が目隠しの紙に触れた都度、それをずらして線の先を明らかにしていく。

どうやら子供のように遊ぶなら警戒心が薄れるらしい。

前髪がかすかに触れ合うかもしれない距離の近さも今はうるさく言われない。

 

それが、沖田をやるせなくさせる。

気付かれないままに伏せられた、特別な感情を潜めた上目遣い。

 

「ゆうえんち!」

「金のかかるとこ当てやがったな」

「お前が書いたんだから文句言うなヨ。……遊園地、遊びで行くのは初めてアル。一緒に行くのがお前なのはちょっとアレだけど、楽しみネ」

 

異物を飲み込んだように喉が鳴った。気がした。

神楽が俯きながらでも本当に嬉しそうに笑うものだから、全力で楽しませてやりたいと思ってしまった。

 

しかし深入りはしてはならない。

今こそ日々鍛錬している精神力と自制心をフル稼動させ、律しなければならない。

あくまで自分たちは、仮初の。

 

「……決まりだな。次のお出かけ先は大江戸遊園地でぃ」

「オウ!……って、次?」

「俺がいつ『今日の』お出かけ先なんて言った?」

「ハアアアっ!?」

 

さっさと紙を畳んで立ち上がり、親指で公園の出口を指して行くぞと告げる。

あんぐりと口を開けた神楽はハッと気付いたように叫ぶ。

 

「だ、騙したアルか!」

「人聞きの悪いこと言うんじゃねぇ。今日は遊園地が休みなんでぃ。ミラクルおめっとさん」

「嘘だろォォォォ!」

 

嘘だが。

素直というか馬鹿というか、こちらの言うことを素直に聞くとは爪が甘い。

タバスコケーキの恨みは未だに持っているくせにそこからなにも学んでいないのか。

頭を抱えている神楽から見えない所で沖田はニヤリと笑う。

 

その代わりに行くのはかぶき町の商店街だ。

付き纏っている女と周囲に牽制をかけるためには生活圏内を歩き回るのが良い。

それを聞いた神楽がありありと嫌がっているのでさらに気分が良くなる。

 

(最初が肝心、ってな)

 

沖田が前を歩く形を取り、微妙に遠い距離感で人通りに出る。

沖田はサボる時によく行く肉屋で食べ歩き用のメンチカツを注文した。

少し離れた神楽の方をわざわざ振り返り個数を確認しながらのそれに、店主の顔が食いついてにやつく。

 

「若い二人にサービスだ。コロッケも持ってけ」

「ありがとうごぜぇやす。ほら、お前の」

「銀さん寂しいだろうなー嬢ちゃんに彼氏できちゃったからなー」

「……別に彼氏じゃなイッ!!??」

 

余計なことを言うなと沖田の踵が神楽の爪先を、地面にグリグリと埋めるように踏みつける。

そして沖田もあえて決定的な言葉は言わない。

 

「恥ずかしいみたいなんで、あんまりからかわないでやってくだせぇ」

 

食べながら歩き、自販機で飲み物を買い、店先を覗いていく二人に行き交う周りは声をかけたくてたまらない。

微妙な距離を保ってケンカもせずに歩くその姿が初々しくて、しかし邪魔しては悪いとぐっと堪えて微笑ましい視線を送るのみ。

店員がここぞとばかりに絡み大声で囃し立てるその内容を、耳を大きくしてひっそりと聞き取っていたりする。

心底げんなりした様子で番傘を深く指し直した嘆きの神楽と対照的に、沖田は鼻歌をする程の上機嫌だ。

 

「明日から外出れないアル……皆ごっさ勘違いしてるアルゥ……」

「それが狙いだからな」

「……お前に付き纏ってるっていう珍しいオネーサンなんて本当にいるのかヨ。そんな人見てないし気配も感じないネ」

「適当にぶらついてりゃそのうち出てくるか、今日が平和に終わるかどっちかでぃ」

 

前方からは神楽の名を呼びながら八百屋のおばちゃんが駆け寄ってきて、あらあら良い男と歩いてんじゃないのさぁ!と普段から出しているのだろうよく通る声で勝手に宣伝してくれた。

そのパワフルな笑みに対して沖田は会釈をするにとどめる。雄弁は銀、沈黙は金だ。

しかし悪い気はしなかったのでその八百屋で串刺しフルーツを買い(バナナを神楽に渡そうとしたら絶対零度の眼差しをくらったのでメロンにした)、その後はおもちゃ屋や雑貨屋のウィンドウショッピングをして回った。

 

穏やかな天気の下、食べ歩きで丁々発止のやり取りを交わすのはとても良い気分だった。

万事屋へ送り届けるまでには向こうも慣れたようで、ほんの少し笑顔も見ることができた。

こうして沖田は神楽との初めてのおでかけを満喫した。

付き纏っていたあの女は、終ぞ現れなかった。


 

**********


 

楽しい。不覚にも楽しんでしまっている。

沖田の偽装彼女として通算五回目のおでかけ先に決まった大江戸動物園にて、テーブルに置いたタピオカミルクティを太いストローでぢゅーっと飲みながら神楽は唸った。

 

毎回の行き先はあみだくじで決めているのだが、その時その時で候補地の違いを見つけてワクワクしてしまうのが悔しい。

ちなみに二回目のおでかけは沖田の宣言通り大江戸遊園地だったが、乗り物決めで少々揉めた。

ジェットコースターは沖田が苦手だから渋り、観覧車は神楽が近くにいたチャラ男の「観覧車はキスするために乗るんだよ」という言葉を真に受けて渋り。

結果、コーヒーカップとゴーカートとお化け屋敷のサーキットとなった。

 

(いつまでコレ続けるつもりアルか、アイツ)

 

神楽は沖田に付き纏っている女を見たことがなかった。

もし自分とのおでかけで本当に付き纏いが無くなったのなら依頼解決だ。

今はどうなっているのか、その辺りを聞いてみよう。

そうして鉄製の椅子の背もたれに深く沈む。七分丈の赤いズボンがずり上がり露わになる、すらりとした脛。

 

沖田の偽装彼女役は神楽の日常にも思わぬ効果をもたらした。

万事屋の看板娘として評判の彼女は際立った見た目とその人懐っこさから人気が高く、事あるごとにあらゆる年代の男から声をかけられる。

それらが沖田とおでかけした翌日から、ぴたりと止んだのだ。

値踏みされ舌舐めずりされているような、あからさまで邪な視線が消えたことは神楽にとって僥倖だった。

 

(解決したらこれも終わりなんだナ)

 

最低でも週一のおでかけの約束をしている今このペースが消えた時のことを、なんとなく想像してみる。

その途中から知らずと眉根を寄せたので、側から見ると不機嫌に宙を睨む表情になっていた。

そこに厠から戻ってきた沖田が怪訝そうに、なんかあったかと尋ねてくる。

なんでもないアルと答えた神楽のその心持ちは、なんでもなくはなかったのだが。

 

「次ライオンの餌やり行こーぜ」

「ん、面白そうアル」

「生肉放り投げか。腹空かして人間様に翻弄されて這いつくばる無様な姿晒してやらァ」

「ライオンはお肉食べれるアルか。私も骨付き肉食べたいアル、いいナー」

 

……なんかちょっと変わったカップルだね。

横のテーブルの女子三人組が一連の会話を聞いてそんなひそひそ話をしているが、当の本人達は気付いていない。

 

今いる室内カフェエリアから出るために入口へ歩き出すと、沖田の背中が止まった。

次いでその付近が静かにどよめいている気配がする。

神楽は身体を傾けてその向こう側を覗き込んだ。

 

中肉中背の男がいる。

その周囲はその男から円形に距離を取っており、なぜそんなことになっているのかは一目瞭然だった。

その手に握られた、鈍く光る抜身の刀。

 

「動くな!動いたら全員ぶっ殺すぞ!!」

 

賑やかな空間が瞬時に恐怖と悲鳴で染まる。

間口の広い、しかしひとつしかない入口に人々が殺到する。

その男を境界線としてカフェエリアの奥側にいた人々はその場から動けない。

そして入口は男の仲間が固めていて、出られなかった人々が押し返されてきた。

 

やがて全員が中央に集められ座らされる。

沖田と神楽は人に紛れて全体を見渡せるように端に移動し、大人しく座って様子を伺う。

 

「全部で四人。刀だけアル」

「拳銃が無いのはラッキーだな」

 

小声の会話をかき消すように、静かにしろ!だの、腑抜けた幕府に裁きを!だのと犯人達が叫んでいる。

沖田はこちらの背中の影で、手元を見ずに携帯電話を操作している。救援を要請しているようだった。

テメェは勝手に動くなよ。

沖田のその鋭い釘刺しに、なんでヨと神楽は返す。

 

「周りで怪しいヤツがいないか見張れ。仲間が紛れてる可能性もある」

「お前、囮になるつもりアルか」

「上手くやらァ。いいか、勝手に動くな」

 

蘇芳の奥に見える殺気を認め、無言で頷く。

対大人数を守るための動き方には自分は慣れていない。ここは向こうの領域だった。

 

沖田は懐から黒縁眼鏡を取り出すと、あっとか言いながら誰もいないかつ犯人と一直線になる絶妙な場所へ放る。

カツン!と大きくはないが硬質な音が響き、なにしてる!と怒声が飛んできた。

 

「あ、あの、す、すみません」

 

先程までの殺気や気迫は何処へやら。

いかにも気弱そうな青年の振りをする沖田が意外すぎて、神楽はぽかんと口を開ける。

震えながら腕を伸ばすその様子を犯人達がじっと見据える。

沖田の一挙手一投足を、人質達がハラハラしながら見守っているのがわかる。

 

「情けない声上げんなよ、男ならよぉ」

「ひっ」

 

近付いてくる犯人に大仰に怯えて後ずさりの演技をする沖田。

そのうち胸倉を掴まれ立たされ、中心へと引きずられていく。

 

すみません、殺さないで。

沖田は今日は帯刀しておらず、身体も声も震わせながらの演技もあってか、犯人はこの青年が真選組の沖田であることには気付いていない。

 

彼が視線を集めている隙に、神楽の視線は周囲に走る。

しかし怪しい人物も気配も見受けられない。

犯人が沖田を羽交い締めにして刀を喉元に突きつけたのを見て、そろりと片足を立てて飛び出せる準備をする。

勝手に動くなと言われたが、いざとなったら犯人の油断くらいは作るつもりだった。

 

「止めてください、殺さないでくださいっ……」

「見せしめが一人ってのも寂しいよなぁ。おい、もう一人連れてこい」

「オウ。……コイツにするか。こっちに来な」

「そ、その子は関係ないでしょ!人質なら僕一人がなります!」

 

泣き声、叫び声、強く張られたピアノ線できつく縛り上げられているかのような緊張感がこの場を支配する。

どちらも動かないそこへ、唐突に聞こえたパトカーのサイレン。徐々に大きくなっていく。

子供へと手を伸ばしていた犯人は焦りから大きく舌打ちをして沖田の側へ、正しくは沖田を捕らえている男の側へ寄ってきた。

 

今の位置関係は沖田を中心にして見ると、前後を犯人二人に挟まれている。

人質達までの距離は神楽の目測で、男の大股で五・六歩といったところだ。

これなら凶刃が即座に人質の急所を傷付けることはできない。

犯人の仲間は入口付近にいるためこちらに駆け付けるには少し時間がかかる。

 

動くならば、今だ。

 

「う、うわぁっ」

 

そして神楽が思ったことは沖田も同様に感じたらしい。

彼はわざとらしく震えながら叫ぶとじたばたもがくと、前に立ちはだかった犯人の股間を思い切り蹴り上げた。

 

「はうっ!!」

 

相手は情けなくも切羽詰まった叫び声を上げ、刀を落とし股を抑えて倒れ込む。

沖田を羽交い締めにしている犯人は、なにしやがる!と狼狽に喘ぐ。

 

偶然を装っているがあれは確実に狙った攻撃だ。

沖田の口元が吊り上っているのを神楽は確かに見た。

しかし背後にいる犯人は沖田のその顔が見えない。

声色だけは変わらず気弱なままだから、その判断をあぐねているらしかった。

 

「わわっ、わざとじゃないです!ごめんなさい!」

「大人しくしてろ!」

 

沖田の喉元に当てられた刃が薄く食い込み、赤い血が一筋流れる。

きゃあっと女の悲鳴がいくつか上がる。

それを聞いた子供たちの、今まで我慢していたのだろう恐怖の泣き声が上がり始め、それが連鎖して広がっていく。

それに動揺した犯人は喚きながら切っ先の方向を人質たちに変えた。

 

そして。

沖田が非常に静かに素早く動く。

 

犯人が伸ばした右腕、その肘の内側の窪みに拳を内側から真横に当てる。

突然の衝撃に相手が動揺した隙に、沖田の右肘がその鳩尾に勢い良く沈む。

ぐうっ!?と呻くその手首に手刀を食らわせ刀を叩き落とすと、囚われていた左半身を力尽くで振り解く。

股を抑えて悶絶している男の後頭部を踏みつけその背に落ちた刀を拾い上げる。その踏みつけた足を軸にして半回転し、沖田は犯人と対峙した。

 

「ゲホッ、お、お前」

「さぁて。罪状は不法侵入、恐喝・傷害、業務営業妨害に銃刀法違反。容疑としては殺人未遂かねぃ。ああ、それと」

「ふぐっ!」

 

沖田の足が再度伏した犯人の後頭部を踏みつけた。

ガツンっと痛そうな音に幾人もの身体がビクリと反応する。

トントンと首を押さえて流血を指差し顎を上げた沖田の横顔は、薄ら笑っていた。

 

「公務執行妨害。タダで済むと思うなよ」

 

その気迫に後ずさった犯人に向かって大きく踏み込み刀の柄で一発、顎を跳ね上げる。

倒れたその向こうにいた残りの犯人達は状況をようやく把握し、刀を構えて沖田へ向かっていく。

 

「遅ェ」

 

その切っ先にも腕にも迷いは欠片も無く、あっという間に片付けてしまった。

気絶させた犯人達を懐から取り出した複数の手錠で後ろ手にまとめると、沖田は自分を捕らえていた犯人の方へ歩み寄る。

座り込んでいたその胸倉を掴み上げて腹部に膝蹴りを食らわせると、そのまま仰向けに押し倒した。

 

「テメェらみたいなヤツがうじゃうじゃいるから休む暇も無ェ。こっちはそろそろ我慢の限界なんでぃ」

 

沖田が刀を地面に突き立てる。

それは犯人の頬を掠めた。それはざっくりと頬の肉を抉るか否かのスレスレを見極めて行われた剣技だった。

 

「や、止めてくれ!俺は、俺たちは人殺しじゃねぇ!」

「アホか。刀を持ったら即幕府の敵、俺達の敵だ。コイツは脅しの道具じゃねぇ。持ったら最後、殺される覚悟が無きゃならねぇ。まずは右腕サクッと落とす」

「ヒィッ!!」

「情けねぇ声出してんじゃねぇや、男ならよ」

 

神楽は気付いた。

これは、沖田のパフォーマンスである事を。

 

普段ならばこんなに饒舌にはならない。

生命のやり取りの中でそんな悠長なことはしていられない。

要するに、あの犯人は見せしめのために利用されている。

このような騒ぎを起こせばどうなるかを、人質達にあえて見せている。

 

「ぎゃああああ!」

「斬る、ってのはここからさらに刃を押し込んで、切断するために動かさなきゃならねぇ。まだちょいと刺しただけじゃねぇか」

「待て待て待て待ってくれ!止めろ、止めろおおおお!」

「右腕落としたら左は指から一本ずつ詰める」

 

犯人の絶叫だけがこの場に響く。

女子供の悲鳴はとっくに止んでおり、それは自分以上に凄惨な目に遭っている人間の行く末の方に意識を奪われているからだ。

位置的には沖田の背中と犯人の足しか見えていないが、だからこそ聴覚だけの情報で各自の脳内に犯人の今の姿を思い描く。

 

「テメェの家族親戚一族全員調べ上げて然るべき処罰を下す。真選組の捜査網なめるなよ」

「し、し、しんせんっ!!??」

 

鈍くて重い打撃音が聞こえると、それまでじたばたしていた犯人は微動だにしなくなった。

誰もが動けない静寂の中でなんでもないように動くのは沖田だけである。

 

事件の物的証拠である犯人の刀を肩に預けて人質達を鋭く見渡すその眼光。

今まで交わされていた犯人とのやり取り。

懐から警察手帳を掲げたところで即座に信じられる者がどのくらいいただろう。

彼の言動はチンピラそのものだった。

 

「怪我してるヤツは手を上げろ。それもできない重症者は周りのヤツが手を上げろ」

 

静寂でもって人質達は答えた。

それを確認すると沖田は携帯電話でどこかと通話を始める。

近藤の名前が出てきたので仲間と会話しているのだろうと神楽は胸を撫で下ろす。

後はここから出るだけだ。

 

沖田は電話をしながら自分の足元にいた犯人(腕は繋がっていた)の足首を掴みずるずると引きずると、仲間達の近くに転がして同様に手錠をかける。

あの懐はもしかしたら某猫型ロボットのように、なんでも出てくる四次元ポケットなのかもしれない。

犯人の血の跡が付いた床のその近くでそんなことを考える余裕が、神楽にはすでにできていた。

 

「はい、怪我人はいないみてぇなんで。……ハイハイ、わかりやしたよ死ね土方。あー、今から封鎖された入口開けてくるんで、良いと言うまでもうしばらく待っててくだせぇ」

 

後半は人質達へのアナウンスだ。

それを告げた沖田は神楽をちらりと一瞥してから背中を向ける。

 

渋柿色の羽織に注がれる人々の視線は恐怖一色だ。

確かに人々と沖田との間には、大きく深い見えない亀裂が入っている。それで良しとしていることを神楽は知っている。

だからこそのあのパフォーマンスかもしれなかった。

きったはったのやり取りに、むやみやたらに近付くなと言うように。

 

そこに神楽が口を挟む余地も権利もない。

しかし自分が亀裂のこちら側にいることには違和感があった。

寄越されたあの視線の意味を理解するためにはそれを飛び越える必要があった。

おまわりたるその背中を見送るだけには、なりたくなかった。

 

(しょーがないアル)

 

しょうがない。そういうことなのだ。

小さく息を吐いて神楽はすっくと立ち上がる。

斜め下や遠くからの視線を一身に集めて、そして皆を安心させるために笑う。

足取りも軽く走り出し、その見えない亀裂を勢い良く飛び越えて。

 

「やりすぎじゃネ?」

「テメェらが言った通りを演じただけだろぃ。それでも文句言われるなんて、警察は難儀な仕事だねぃ」

「ただ憂さ晴らししたかっただけだロ」

「なんでぃ、ばれてやんの」

 

そういうことにしておいてあげようと、沖田のペースに合わせて歩を進める。

自分の背中に集まる視線の数は変わらず、その質は少しずつ変わっていく。

心配から奇異へ。そしてこれからは恐れを抱いたものへと変わるだろう。

それでもここにいることを、この男の隣に並び立つことを厭わない。

 

「あとな、あれどかせ」

「……なにアルか?あのぶっとい突っ張り棒」

「あれで入口塞がれてて外側から開けられないんでぃ」

「美少女にアレ持ち上げさせんのかヨ。お前もやっぱりマダオアル」

 

両手の指を鳴らし、首と肩を回して準備運動。

沖田はすでにその足を止めており声は後ろから聞こえてくる。

 

「まぁなんてダンディな男だなんて、よせやい照れるぜ」

「耳まで腐ってんだナ。勝手に言ってロ」

 

白い細腕が丸太ほどの太さがある棒をがしりと抱え込む。

ふんぬっ!と気合を叫び入口を塞いでいたそれを持ち上げると、次の動きに備えて下半身で踏ん張り上半身を捻る。

さっすがー、と平坦な感嘆を背に受けて。

夜兎族自慢の怪力を載せたその棒が、閉ざされていた入口をぶち破った。


 

**********


 

首の手当を受けて土方に事のあらましを説明し終えると、今日はもういいと珍しいことを言われた。

普段ならば非番であっても事件に出くわしたら事後処理に駆り出されるのに、だ。

 

清濁合わせ飲み込む漆黒の三白眼を追った先に、神楽がいる。

どうやら送ってやれと言いたいらしい。

色男との名高い笑みも今は憎々しい揶揄にしか見えず、沖田は大きく舌打ちすると、くたばれ土方と唾と一緒に吐き捨てる。

断じて彼の言いなりになって彼女の元へ歩いていく訳ではない。

 

人混みから一人離れて立つ神楽へ近付く途中で沖田は気付く。

定春のポシェットを手持ちにしている。

それは、ベルトが千切れて肩に掛けられなくなったからだった。

きっと入口を突き破った時に棒との摩擦で壊れてしまったのだろう。

 

こちらの足音に気付いたのか、今まで俯いていた顔を上げる。

なんでもないという表情を取り繕っているのが沖田にはよく分かった。

 

「土方さんが帰って良いってよ。それともまだ回るかぃ?」

「……そんな気分じゃないアル」

「じゃあ帰るか。……万事屋行く前にそれ作った店に行って修理を頼」

「無理アル」

 

こちらの申し出を食い気味に遮る神楽を見下ろす。

西日が染め上げる世界は黒味を帯びた橙色だ。

まもなく群青へと変わりゆく空へ吸い込まれるように、その声が上がる。

 

「あのお店今日までアル。もうすぐ閉まる時間ネ」

 

壊れ物を守るようにして抱かれた動かない定春は、少し汚れて左の頬が薄く茶色くなっている。

この定春もメイヨノフショーってヤツアル。よくやったネ。

自分に言い聞かせるようにして一人歩き始めるその背中を見過ごせる程、沖田の心は冷めてはいない。

 

「これからは押入れの中で私の宝箱を守ってもらうアル。だからもう帰っ!?」

「ごちゃごちゃうるせェ」

 

神楽の後頭部を思い切りはたき首根っこを掴み、沖田はズンズンと動物園の出口へと進んで行く。

なにするアルか!と喚くので、黙らねェならお姫様抱っこで運んでやらァと低く脅す。

偽装彼女である神楽に対しては効果てき面だったようで大人しくなった。

それに面白くないと思ったのも沖田の本心である。

 

「パトカー飛ばせば間に合うかもしれねぇだろ」

「はっ?そんなのダメアル!私なにもしてないのにパトカー乗せられたらご近所さんに悪く見られるネ!」

「安心しろ、万事屋は十分悪目立ちしてらぁ。神山、パト一台持ってくぜ。土方さんには上手く誤魔化しとけ」

「た、隊長!ですが」

 

後部座席のドアを開けて神楽を乱暴に放り込み、音高くドアを閉める。

神山の制止を聞き流して自分は運転席に乗り込み、シートベルトを締める。

 

「お前にこんなことまでしてもらわなくたっていいアル!」

「うるせぇっつってんだろーが。口閉じてしっかり掴まってろ」

 

忠告をしてからパトカーを急発進した。

サイレンを鳴らして周りの車両に道を譲らせ、マ○オ○○トも真っ青のハンドルさばきとドリフト走行で商店街へと突き進む。

 

あの場には沖田に付き纏っていた女もいた。

偶然だったのかいつものように付いてきたのかはわからない。

しかし自分の言動に恐怖したのは間違いない。目が合った時に青ざめて視線を向こうから逸らしたのだ。

今後近付いてくることも、もう無いだろう。

 

依頼はこれで完了だ。

あとは無事に解決したと言って神楽を偽装彼女の役目から下ろすだけ。

 

しかし、それは惜しいのだ。

万事屋に送り届けてからそれを告げるのでも遅くない。

否、なにも言わずにもう少しこの仮初めの関係を続けることだってできる。

 

沖田のそんなずるさを断ち切るように、定春のポシェットが壊れた。

本物の彼のように、飼い主たる神楽を沖田から守るために、ここまでだと釘を刺されたようだった。

偶然だと片付ければ済む話。しかし神楽のしょんぼりとした気配と本当に気に入っていたのだろうこれまでの姿が思い出され、そうとはできなかった。

わかったよと誰にともなく心で答えて、沖田は神楽の頭をはたいたのだ。

 

「信じらんない!今おじーちゃん轢きそうだったネ!」

「そんなヘマするか。俺は警察庁長官カップ誰が一番運転上手いか選手権で優勝した男」「だったら良いなって言うんだロ!いや言うナ!舌打ちすんナスピード上げんナバカヤロー!!」

 

ただ、一緒に過ごしてみたかった。

ケンカ抜きで。万事屋の二人がいないところで。

あわよくば笑顔が見たかった。

自分に向けられていなくとも、誰よりも近い距離で。

 

速度は落とさない。

そして神楽の口汚い抗議も聞かない。

惚れた弱みと知ってなお、パトカーを操る沖田の手足は止まらなかった。

 

「すいやせん、まだいいですかぃ」

 

神楽はもとより沖田も若干息切れしながらプチベールに駆け込んだのは、閉店時間をとっくに過ぎていた。

それでもドアが開いたのは、店長が店じまいのためにまだ残っていたからだった。

事情を説明し修理を頼むと店長は困ったように懸念事項をいくつか上げる。

それでも構わない、言い値を払うと言い切ると、わかりましたと承諾してくれた。

 

「さっき言った通り、割増料金とお時間かかりますので」

「へい」

「ではこちらにお届け先の住所のご記入をお願いします。……羨ましいですー、こんな優しい彼氏さん」

 

店長の神楽への呼びかけに、万事屋の住所を書きつけながらの沖田の口が開く。

 

「そんなんじゃありやせん。悲しそうな顔を見たくないっていう、ただの俺のエゴでさぁ」

 

それはボロを出されては困るというよりは、神楽に対しての最後のアプローチだったのかもしれない。

 

「はー……イケメンはなに言っても様になるんやねぇ。はい、ありがとうございます。できあがりましたらご連絡しますので」

「よろしくお願いしまさぁ」

 

神楽は借りてきた猫のようにほとんど喋らなかった。

ポシェットを出す時に一言二言、店を出る時によろしくお願いしますアルと言うだけだった。

そのままパトカーに再び乗り今度こそ万事屋へ向かう。

先程と違うのは、神楽が助手席に座っていることだった。

 

「あー……二週間くらいかかるらしいぜぃ」

「……ウン」

「……万事屋に直接届くようにしてるから」

「……ウン」

 

今は速度を守って運転している沖田は神楽のしおらしい様子に、なにこの空気と少し戸惑う。

その後も特に会話は続かず、ほぼ無言のままパトカーを走らせる。

万事屋のある通りに差し掛かった時、窓の向こうを見ている神楽の声が小さく聞こえた。少しの緊張を孕んで固い、一人言のような声音。

 

「お前、本当に私のこと好きアルな。ウゼー」

 

それには沖田は無言を貫く。

このタイミングでこれを言うのは向こうがなにかを期待しているのか、それとも間を持たせるためのものなのか。

その判断がつかず、なんと答えたら正解なのかがわからなかった。

こんな関係になるまでは、今まで神楽との間に正解なぞ求めたこともないのに。

 

「着いたぞ」

「……アレはいいのかヨ」

 

いつもは別れる前にやっていた、次回のおでかけあみだくじ。

神楽が指してるのはそれで、もう必要ないと言うために沖田の口が開くのには時間がかかった。

じゃあ、とその沈黙を破った神楽の顔を彼は見られなかった。

 

「私の行きたいところで良いアルか」

 

脳が咀嚼しその意味を理解しようとするができなかったので、沖田は首を横に向ける。

真っ直ぐ向けられた神楽の双眸だけが暗がりの中で明るく光っていて、射すくめられたような気分になる。

コイツは今、なんと言ったか。

それでも聞かずにはいられなかった。

 

「……どこに行きたいんで?」

「大江戸遊園地」

 

対向車線から来た車のヘッドライトが瞬間車内を眩くさせる。

唇をきゅっと締めている、その表情が照らされて。

沖田の心臓は一撃を食らい不整脈を起こし始める。

今はもう逸らされた横顔を、もう一度こちらに向かせたい衝動に駆られる。

 

「なんでそこ?」

「前に乗れなかったやつに……乗りたくなったアル。定春のポシェットが戻ってきたらナ」

 

神楽はシートベルトを外してドアを開ける。

沖田が離れゆくその右腕を掴んで引き留める。

ここが最後の機会だと、振り向かない神楽に沖田は問いかける。

 

「偽装じゃなくても、いいか」

 

開いたドアから急に流れ込んでくる酔狂な騒ぎや客引きの声。

その賑々しい雑踏には紛れ込まず、小さくともはっきりと神楽の答えが聞こえた。

 

「お前となら、観覧車に一緒に乗ってもいーヨ」

 

それから約半月後の曇天のとある日。

大江戸遊園地行きのバス停付近に一人の青年がやって来た。

亜麻色の髪を風になびかせ若草色と深緑色の袴を纏ったその美男子は、腕組みをして携帯電話をいじっている。

どうやら待ち合わせをしているようだった。

 

それから少し遅れて、この界隈では珍しい真っ赤なチャイナドレスを着た少女が彼に駆け寄る。

紫色の番傘の下はとびきりの美少女で、肩からかけた犬のポシェットが年相応に見えて可愛らしい。

それぞれ特徴のある言葉遣いで会話しながらしばらくそこにいると、時刻表通りに来たバスに乗り込んで行く。

 

「そんじゃ、初デートといきやすかぃ」

「オウ、受けて立つアル」

 

新しいおでかけの形が、今始まる。



 

Fin.

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