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NOVEL

温泉があたためるのは愛と心と絆 

40,544 文字/3p

 

みりん/ビビビ⭐︎ネットワーク

付き合ってない沖神2016が温泉旅行に行くお話です。 「かけおちごっこ」をしたがる甘えたモードに入った神楽ちゃんと、手を出さないよう必死に我慢する沖田の攻防です(笑) 付き合ってないのにとにかくイチャつかせる! がテーマ。 文字数が多くなってしまいましたが、2人の「家族」という存在に対する想いも描けて満足しております。 読んでくださった皆さんに、少しでも旅行気分を味わって頂ければ幸いです。


注意事項:実在する道後温泉や松山を参考にしておりますが、あくまで作者の主観で書いているため実際の観光地と異なる部分もございます。

* 序章 *


 

握られた手。 背中のリュックにパンパンに詰められた荷物。 上目遣いでうるうると見つめてくる青い瞳。 下ろされた琥珀色の髪。

沖田は困惑していた。 目の前には様子のおかしな女。

 

非番の日の早朝。 昨晩まで徹夜続きで、連日の激務で疲れ切った身体はようやく得られた睡眠時間の中で熟睡しきっていた。 枕元に感じた気配。 慌てて刀に手を伸ばしながら飛び起きれば、見知った存在がちょこんと座っている。 最初は夢か寝ぼけているのかと思った。 そこにいたのは――万事屋のチャイナ娘こと神楽。

こんな早朝に、しかも沖田の自室に勝手に入ってきていた彼女は、こう呟いた。

 

「ねぇ…私と一緒に、かけおちしヨ?」

 

その瞬間、沖田の脳は一気に覚醒した。


 

*


 

「で、これどういう状況?」

 

珍妙な侵入者は、荷物をドサっと下ろすなり、部屋に備え付けの冷蔵庫を漁り出した。 取り出したお茶のペットボトルを、何の許可も得ず勝手に飲み干していく。 ぷはっという威勢のいい声にハッとした沖田は、出遅れながらも小さな頭をチョップした。 悪びれる様子も一切ないクソ女は、痛いと抗議しながら頭をさすっている。

 

「見たらわかんダロ。 家出アル」

「アホか。 それがどうかけおちと繋がんだよ。 大体今何時だと思ってやがる」

「朝の7時ダロ。 お前仕事は?」

「今日は非番でィ。 だからぐっすり寝ようと思ってたのに邪魔しやがって。 最近まともに寝てなかったってのに」

「ふむふむそれはちょうどいいアルな! 休みってことならちょっくら私とかけおちしてヨ」

 

何言ってんだこのクソアマ。 沖田は思いっきり呆れた顔を作ってやった。 かけおちとちょっくらって言葉は全く結びつかないだろう。 ちょっとで取り返しがつくならかけおちとは言わないのだから。

かけおち――――則ち、恋仲にある男女が何らかの理由で交際を認めてもらえず、密かに街の外へ逃げることを指す。 一般的な定義はこんなところだろうか。

 

「お前、かけおちの意味知ってる? 二度とこの街に戻らない前提でやるもんだぜ、普通」

「それは困るけど。 実は知ってるのヨ、お前が今日から3日間休みもらってるってこと。 だから2泊3日でかけおちしてヨ」

「最初から期限付きの旅行をかけおちとは言わねェって話なんだが、そこんとこ理解してる?」

「細かい男アルな。 こういうのは設定が大事なのヨ。 テンション上げてこーぜ!」

「どうしたそのテンション。 おめェなんかおかしくね? そもそもなんで俺なんでィ」

「だから、お前が3日間休みだって聞いたから。 しかも1人旅行きたいな〜とか漏らしてたんデショ? 温泉とかいいな~って言ってたって」

「誰から」

「ジミー」

「ようし、山崎春のバズーカ祭り決定な」

 

どういう経緯で神楽に非番のスケジュールが伝わったかはこの際どうでもいい。 勝手に人のプライバシーが漏れてる時点で処してオーケーだろ異論は認めん。

だが、それがどうして「かけおち」なんて言葉に繋がるのか。 そこは全くもって意味がわからない。 「旅行に連れてけ」ならまだわかる気がするが、当然沖田と神楽はかけおちをするような関係ではない。 つまり恋仲と呼ばれるような関係でもなければ、こうして自室を訪れてくるような仲良しですらない。 そんな男の元を早朝から訪れ、素っ頓狂な提案を持ちかけてきたその意図が、さっぱりわからない。

 

「それでナ、道後温泉? ってところに行きたいんだけど」

「それただ温泉行きたいだけじゃね? 金ヅル探してただけじゃね?」

 

そういや道後温泉ってどこだっけ。 軽い気持ちで検索をかけて、頭を抱えることになった。 愛媛県、四国。

絶対に地理を把握してないであろう神楽に念のため聞いてみると、案の定だった。 地図アプリを用いて説明しても、どのぐらい遠いのかが全く想像できていない様子だ。

 

「簡潔に言うとだな、飛行機使わなきゃ行けねェとこだから」

「ひ、飛行機アルか!?」

 

沖田としてはいかに遠くてお金がかかるのかをアピールするつもりが、神楽は更に瞳を輝かせてしまった。 乗ったことがない飛行機に興味津々らしい。

 

「乗ってみたいアルー!」

「それ、俺が金出す前提で言ってるよな…?」

「う……。 ぎ、銀ちゃんが悪いんだから、銀ちゃんに請求してヨ!」

 

請求したところで、あのマダオに支払い能力があるだろうか。 泊まりとなれば飛行機代だけでなく宿泊費や食費、その他諸々がかかることになるのだが。

 

「確かに俺ァこの機会にどっか遠出すっかとは思ってたけどよ。 といっても箱根とか草津とか、せいぜい車で行ける関東圏内で考えてたっつーの。 四国とか遠すぎ」

 

非番とはいえいつ呼び出されてもおかしくない職業だ。 本来ならあまり遠出するわけにも行かず、何かあればすぐに引き返せるような場所にしか行けないのは今に始まったことではない。 元々地元に帰る以外で遠出したい欲があったわけではないし。 滅多にない3日もの休みに、せっかくならどこか行こうかなーぐらいのテンションでいただけで、本気で計画していた訳ではなかったのだが。

 

「そもそも旦那に許可とってんの?」

「とるわけねーダロ。 家出なんだから、無断で行かなきゃ意味ないアル」

「いやいや。 おめェさ、男と2人で旅行って…意味わかってんのか?」

「わかってるからかけおちって言ってんダロ」

 

いやいや絶対わかってねェよコイツ! 何故クソガキのわがままに休日の早朝から振り回されなければならないのか。 それでも放っておけないのは、惚れた弱みという奴か。 どちらかと言えば、ここで断って万が一にも別の男にお願いされては困るという面が強いか。

 

「旦那に許可がもらえねェなら絶対ダメだ」

「えー!」

 

めちゃくちゃ嫌がる神楽を、沖田が電話するということでなんとか宥めた。

あれ、これ行く方向で動いてねーか…? と沖田が気づいたのは、既に万事屋に電話をかけ始めてからだ。


 

*


 

「…というわけでして。 一体どんなケンカしたんです? 一向に話そうとしねェんですけど」

『温泉…?』

「え?」

 

何故か銀時は「温泉」という言葉に反応を示した。 もっと他に反応すべき点があるのでは? 「かけおち」とか。

 

『沖田くん。 悪いんだけど、しばらく神楽預かっててくんない?』

「…はいぃ?」

 

確実に反対されると思っていた沖田は、思わぬ返しに素っ頓狂な声を返した。

 

「本気で言ってます? かけおちとか抜かしてんですよ、あの女」

『あー、それはアレだな。 神楽が最近ハマってる昼ドラ、かけおちモノっぽくてさ。 夢中になって見てるから』

「もしかしてそのドラマの舞台、道後温泉だったり…?」

『そのまさかだね』

 

なるほど、納得した。 いや、その相手が自分であることはさっぱり納得できないけれど。

 

『連れてってあげてよ。 道後温泉』

「はぁ!?」

 

これまたまさかの返しに、声を荒げる。 男女がふたりきりで温泉旅行。 状況を理解しているのだろうか。

 

『でも絶対手は出すんじゃねーぞ殺すぞ』

「怖っ。 いやいや、アンタ無茶苦茶言ってやすぜィ。 年頃の男女の旅行を許しておいて、手を出すな? ぶっちゃけ言えば、俺はアイツにめっちゃ下心抱いてやすぜ?」

『…一線越えるような真似はまだ許さないって言ってんだ。 本人がいいって言ってんなら、ちゅーぐらいまでは許してやる』

「どっちにしろ無理ですねェ。 あの女がそんなの許可するはずがねェんで」

 

というかこれ、もう連れて行く方向で話が固まっているような…?

常とはなんだかテンションの違う、どこか落ち込んだ様子の銀時。 予想以上に深刻な状況であることを察した沖田は、渋々覚悟を決めることにした。

 

『沖田くんさ。 アイツがどうして君を頼ったか。 …その意味ちゃんと見つけてきなよ』

「は? 程のいい金ヅルに決まってんでしょ、そんなの」

 

急に真面目な声音になった銀時の言葉の意図がわからない。

 

『ま、いいや。 とりあえず俺と神楽はちょっと距離置いた方がいいからさ。 悪いけど、よろしく頼むわ』

「はぁ…。 後から文句は受け付けやせんからね」

『大丈夫だよ。 君は、落ち込んでる神楽に無理強いしたりできないタイプでしょ。 そもそも童貞がそんな高度な真似できっこないって』

「へェ…言うじゃねーですかィ。 次に会った時ァ、大人の階段昇らせてるかも」

『はいはい。 どうせできっこないって。 じゃ、頼んだから』

 

なんともムカつく煽りで電話を切られてしまった。 頭に上った血を抑えるように深呼吸しながら、携帯を耳から離す。

 

しかし非番とはいえ江戸を離れるとなれば、連絡を入れなければならない人物がもう1人いる。 顔を顰めつつも、履歴から土方の文字を探す。

 

「なんか妙なことになっちまいやして。 正直助けてほしいんですけど」

 

珍しく土方に頼るような発言に、電話の先で驚いている様子が伝わってくる。 だが本気で助けてほしい。

簡単に状況と銀時とのやり取りを説明すれば、何故か起こる笑い。

 

「オイ、てめェ…人が真剣に困ってるっつーのに」

『まぁいい経験になるんじゃねェか? 万が一何かあっても、そりゃ万事屋が悪い。 チャイナ娘ももう16歳なんだ。 責任ぐらい自分で背負ってかなきゃならねェ時期だろ』

「じゃあ何かあったら全責任を旦那、及び土方さんに押し付けるということで」

『なんで俺ェ!? …しかし道後温泉といや愛媛、つまり四国か。 だいぶ遠いな』

「宇宙に行くとか駄々こねられるよりゃマシでしょうよ。 何かあれば無理にでも飛行機動かしてもらって、駆けつけるんで」

 

ついでに覆面パトカーとして利用している一般車の中から1台を借りられるよう手配した。 空港まで電車で向かうのが面倒だから。

結局土方では何の解決にもならなかった。 どんどん決行する方向性で話が進んでいるが、沖田にとってもだいぶどうでも良くなってきた。 だって保護者も上司も許可してるし。 ここまで来ればなるようにしかならない。

 

やはり一番懸念なのは、他の男を頼る真似をされることなのだ。 もしくは関係が拗れた上で万事屋を出ていくと言い出しかねないこと。 これでは何のために2年間万事屋を取り戻すために働いてきたかわからなくなってしまう。

仲直りしてもらうよう説得しつつ、理由は不明だが深く傷ついているらしい神楽の心を少しでも軽くしてやれれば。 沖田の役割としてはそんなところだろうか。

 

部屋の隅で勝手に漫画を読み漁っているクソアマにイライラ度が増す。 何故こんなに振り回されねばならぬのか。

 

「あ、終わった?」

「終わった? じゃねーよこのクソガキ!」

 

思いっきり蹴っ飛ばしてやると、意外にもやり返されなかった。

 

「…銀ちゃん。 なんか言ってたアルか」

「……ちょっと距離置いた方がいいんじゃないかって」

「そっか…」

 

何かを考え込む少女を、ただ見守った。 事情がわからないうちは余計な口出しはしない方がいいだろう。

 

「で、本気で行くつもりで?」

「うん! かけおちしよーヨ」

「その設定ずっと引きずるつもりかィ」

「設定じゃなくて本気アル!」

「へェ…じゃあ覚悟決めとけよ」

 

何の、とは言わないけれど。 銀時に釘を刺されたとはいえ、本当に手を出さずに済むかなんて保証してやることはできないのだから。

 

「もちろん…最初から覚悟した上で、ここに来てるネ」

 

沖田は半ば諦めの境地で、遠い目をするしかなかった。


 

そんなこんなで、2人は2泊3日の旅行へ向かうこととなったのだ。




 

* 1日目 夕方 *


 

「げ、雨降ってんじゃねーか」

「私傘持ってるアル。 感謝するヨロシ」

「てめェはいつも持ってんだろーが」

 

愛媛、松山空港――。

来てしまった。 沖田の胸中を締めるのは、やってしまったという後悔にも近い感情。 そして惚れた女と2人きりの旅行に、少しばかりの期待も湧き上がってくる。

 

ここから松山市街まではリムジンバスで移動する必要がある。 道後温泉は更にその先。 道後温泉駅に直通するリムジンバスを探し、そのまま乗り込んだ。


 

宿は飛行機を待っている間に決めておいたのだが、そこでもひと悶着あったのだ。

 

「せっかくなら温泉ある宿がいいアル」

「近くの宿なら、大体が温泉も引いてるみたいだぜィ」

「お部屋に露天風呂とかあったら最高アル!」

「アホ。 宿泊費跳ね上がっちまうっての。 それになぁ、当日に予約入れられるのなんざ、安いビジネスホテル的なところしかねーよ」

 

ここまではまだ良かったのだが、問題は部屋である。

 

「はぁ!? 同じ部屋に泊まる!?」

「うん。 だって宿泊費かかっちゃうデショ? それに、一緒じゃなきゃかけおちっぽくないアル…」

「は?」

 

この女、本気でバカなのだろうか。 旦那はどういう教育をしているのだと、リアルに頭を抱えてしまった。

 

「オイ。 何アルか、その心底呆れてるみたいな顔は」

「心底呆れてんでィ。 バカなの? いくらてめェがガキだからって、同じ部屋はマズいに決まってんだろーが」

「別々の部屋なんて、全然かけおちっぽくないモン! 一緒じゃなきゃヤダ!」

 

そんなに俺と一緒にいたい? なんて言葉が浮かんだが、口にすることはなかった。 これはあくまでかけおちごっこ、ガキのおままごとでしかないのだ。 相手が自分だっただけでもラッキーだと思わねばなるまい。

 

「けど絶対ダメだ。 そこだけは譲歩できねェ」

「…ひとりになりたくないのヨ」

 

断固として拒否しようとした矢先のこの言葉で、少し揺らいでしまう。 神楽の心は今、傷ついているらしい。 そんな中で頼れる大人は他にもいたはずだが、誰でもない自分を選んでくれたのだ。 その意味は未だにわからないし、偶然非番だったから以上の意味はないようにしか思えないけれど。

 

――アイツがどうして君を頼ったか。 その意味ちゃんと見つけてきなよ。

 

銀時の言葉が浮かんでは、偶然だけとは思えなくなっていた。 きっと今神楽にとって必要なのは、逃げずに真剣にぶつかってやること。 それが沖田にできる最善だと思ったのだ。

 

「わがまま言ってるのはわかってるネ。 それでも、ひとりにしないでほしいアル…」

 

どうしたって放っておけなくて、値が張ってもいいからせめて仕切りがある部屋とか、布団を離して敷ける部屋はないかとネットで検索しまくった結果。 そもそも2部屋も空いている宿の方が少ないという事態に直面し、逃げ場がなくなった。 ダブルベッドはさすがにまずいと、なんとかツインの部屋を見つけるぐらいしかなす術がなかったのだ。

 

つまり、同じ部屋で寝なければならないことが確定した。 もちろん手を出すわけにもいかないので、一晩中生殺しにあうという地獄のような夜が2回も訪れるのだ。


 

「楽しみアルな! 温泉!」

「はぁ…。 宿には期待すんなよ。 本当に余ってるところしかとれなかったし」

「充分アル! ビジネスホテル? ってところでさえ泊まれる機会なんて滅多にないからナ」

 

バスに揺られながら、神楽は上機嫌だった。 空港で手続きをしている間も、飛行機に乗っている間も、珍しく笑顔を見せていた。 こっちの苦労も知らないで、と思わなくもないが。

沖田の前で笑顔でいることも、こんな長時間一緒に過ごすことも今までなかったのだから、楽しいという気持ちもなくもない。 不安の方が大きいけれども。

 

「そういえば、お前はどうして温泉行こうなんて考えてたアルか?」

「別に大した理由は。 しいて言や、3日も休み取れることなんざ滅多にねェし。 あとは最近ぶっ続けて討ち入り続きだったから、身体が疲れてんでさァ。 温泉でも入って癒されてーなって思わないこともなくてねェ」

 

わざとらしく肩を回せば、少しばかり申し訳なさそうな顔を覗かせた。 そう思うなら少しは遠慮してもらいたい。

 

「癒しが必要ってことアルな」

 

怪しい返しに不審な目を向ければ、そっと腕に添わされる手。 驚きに固まれば、神楽はそっと身を寄せてきた。 まるで恋人同士のように腕を組んでいる状態だ。

 

「ど、どう…? 美少女にぎゅってされて癒されない男はいないネ」

 

いや、どうと言われても。 むしろ当たっている柔らかい部分に意識がいってしまい、身体に余計力が入るんですけど。

 

「この方がかけおちっぽいアル。 ん……なんか眠くなってきたかも」

 

この状態で寝る気か。 焦りばかりが先行するも、拒絶の言葉が出てこない。 こんな至近距離で甘えてくる神楽など、もう一生ないかも。 しばし逡巡している間にも、神楽の目蓋はどんどん落ちてゆく。

 

「あー…無理せず寝といていいぜィ。 1時間ぐらいかかるし、着いたら起こす」

「ん…、おやすみありゅ…」

 

ありゅとか何それかわいすぎ!!

あっという間に寝入ってしまった隣のぬくもりに、沖田はゆっくり息を吐いた。 夜さえ耐え抜けばという考えが甘かったらしい。 まさかあの神楽がこんなに密着してくるとは。 そこまでしてかけおちとやらに強い憧れを持っているのか。

しかし嫌な気はしないのでそのまま寝かせておくことにする。 早起きした上、慣れない乗り物での移動が重なったとなれば疲れてしまうのもしょうがないだろう。 飛行機の離着陸時は特にはしゃいでいた。 宇宙船にしがみついて不法入国した女が飛行機にビビる意味がわからなかったが。

 

この時沖田も既に感覚が狂っていたのか。 普段なら絶対に見せない顔で神楽を見つめていたのを、周りの乗客たちに目撃されて。 旅行に来た初々しいカップルだと誰もが思っていたことを、本人たちは知らない。


 

*


 

ホテルに着くなり街に繰り出す。 到着した時点で既に夕方になっており、本格的な観光は明日にしようということになった。 とはいえ夕食付きのプランではないため、今夜のご飯を探しに行く目的も兼ねて、軽く周辺を見て回ることに。

 

「にしても坂だらけアルな」

「温泉街って割とそうらしいぜ。 見ろよあの神社。 すっげェ階段が急」

「おぉ、本当アルな。 明日行ってみようヨ」

「おー。 それより何食いてェ?」

 

せっかくならこの地ならではの品が食べたい。 アーケード付きの商店街のようなところを歩いていけば、お土産屋に混じって「鯛めし」という看板がやたらと目につく。

 

看板に記載されている説明を見る限り、鯛めしにも種類があるらしい。 主に宇和島風と松山風の2種類があり、宇和島風は鯛の刺身を卵や特製のタレに絡めたものを、ごはんに乗せて食べるタイプ。 もうひとつの松山風はごはんと鯛の身を炊き込むタイプのようだ。

 

「生か火が通ってるかでだいぶ違う印象受けるけどな」

「なぁ、このお店お米食べ放題だってヨ!」

「どれどれ。 おー、宇和島風の店かィ」

 

神楽が気に入ったようなのでこの店に決めた。 ごはんもお櫃で出てくるということなので、最初から山盛りでお願いしておく。

 

「ご当地のごはんとか地球来て初めて食べるかも! いろいろあるんだナ!」

「旅行なんて滅多に行けねーだろうしねィ、万事屋さんは」

「バカにしてんじゃねーぞ! これでも依頼であちこち…行ったりはするけど、ご当地ごはんどころじゃないことになるのが通例アルな…」

「じゃあレアな体験できてさぞ俺に感謝してんだろうなァ?」

 

揶揄ったつもりが、神楽は少し考えた素振りをしてからこう返してきた。

 

「感謝は…してなくもないアル」

「へ?」

「何ヨ。 私だってお礼ぐらいちゃんと言えるんだから。 お前みたいなクソでも、ちょっとはいいところもあるんだナ」

「礼を言う態度ではねェな」

 

ムカつくことも言われるが、心底美味しそうに食べる姿に頬が緩みそうになった。 これだけでも連れてきた甲斐があったというものだ。



 

食後の腹ごなしに、もう少し温泉街を歩くことにした。 雨もちょうど上がっており、雨上がりの夜の道後温泉は不思議な空気を醸し出している。

温泉街ってもっと和な感じかと思っていたという神楽の感想には同感だ。 文豪の街だけあってモダンな雰囲気ではあるけれど。

 

そんなことより気になることが、ひとつ。

 

「…なぁ」

「ん?」

「お前…俺にくっついて歩いて平気なワケ?」

 

距離が異様に近いのである。 バスの中でもそうだったように、腕に抱きついてくる。

どこから見ても、旅行に来たカップルだ。

 

「だってこの方がかけおちっぽいもん…。 ダメ…?」

「…別に、どっちでもいいけど」

 

いやいや良くねーよ!? 嫌いな奴に密着とかどういう神経してんだコイツ…!

心の中では盛大にツッコんでいるのに、声には出せなかった。 だって普通にうれしいから。 好いた女にくっつかれてうれしくない男はいない。 必死にポーカーフェイスを装った。 土産屋の店員にも散々カップルだと勘違いされたが、神楽も否定しない。

 

あくまでかけおちごっこなのだ。 ドラマに影響されているだけ。 もしくは見知らぬ土地で頼れるのが沖田しかいない状況だから。 ホームシックにでも陥っているのかもしれない。 寂しさを紛らわせるには、誰かのぬくもりが有力だから。

一体誰に言い訳をしてるのかわからぬまま、沖田は頭の中で理屈を並べて神楽を好きにさせておいた。

 

ふと、神楽の視線がある商品で止まっていることに気づく。 いかにも好きそうな兎の置き物。 どうやらお手玉のような素材で出来ているらしく、3種類の大きさの兎が乗っかり仲良く揺れていた。 値札には「家族」の文字。

これを見て、少女は何を思い出しているのだろう。 万事屋か本当の家族か。 沈んだ横顔を眺めても、その感情は読めない。

聞いたところで素直に答えてくれはしないだろう。 本来の2人は、そのような深い話をし合う仲ではないのだから。

それでも今回は知る必要があると、沖田はなんとなくそう思った。 銀時とのケンカの理由も、少女が以前より時折見せる暗い表情の意味も、きっとそこにある気がしたから。

 

「それ、買ってやろうか?」

 

急に話しかけられ肩が跳ねた神楽は、驚いたように振り向いた。 沖田の存在を忘れるぐらい、その「家族」の様子に夢中になっていたらしい少女は、言葉に詰まったようで。 返事が来る前に手に取ってみる。

 

「夢中で見入っちまうぐれェ気になったんだろ?」

「でも……ううん、なんとなく見てただけだから」

「遠慮すんじゃねェよ。 どうせ帰りにお土産大量に買わされんのも俺だろィ? この際てめェの欲しがるものは全部買ってやらァ」

 

それでも尻込みしそうな様子に、有無を言わせずレジに直行した。 焦る神楽を余所にすかさず会計を済ませ、袋ごと押しつけてやる。

 

「なんで…?」

 

何に対する質問なのかはわからないが、気にせず神楽の手を引いて店を後にした。 アーケードの外に視線を向ければ、再び雨が降り出している。

舌打ちしてから、今度は別の雑貨店に向かう。 戸惑う神楽の手は掴んだまま。 目当ては先程神楽が興味深げに見ていた番傘だ。

 

「もう1個傘買うぞ。 てめェの傘じゃこの雨の中2人で入るにゃ狭いからな」

「傘って…もしかしてさっきのあれアルか!?」

「おう。 雨に濡れると兎の模様が浮き出てくるとかいうヤツ」

「お前、そんなかわいい傘買うつもりかヨ!」

「アホか、そりゃてめェのだ。 気になってたんだろ。 俺がてめェの傘使うから、お前はそっち使えば?」

 

観光地に限らず雑貨屋で割と見かける、水に濡れれば模様が浮き出るタイプの和柄の傘。 商店街を物色していた際、デモンストレーションに用意された霧吹きで水をかけてはしゃいでいたのだ。 欲しいと言わなかったのは、元々傘を持ち歩いていたからか。

買ってやれば、うれしそうに受け取っていた。 目があった瞬間に笑顔はいつもの仏頂面に戻ってしまったが。

 

「お、お前がこんな優しいとか…なんか調子狂うアル」

「ちょっと散財してェ気分になったんでィ。 せっかくの旅行だしパーッとやろうぜィ」

「ふーん。 ま、もらえるものはもらっといてやるネ」

 

そんな悪態をついてから、小声で「ありがと」と聞こえたのはきっと気のせいではないはず。 どこまでも素直じゃない女に、それでも沖田は満足げに笑ったのだった。




 

* 1日目 夜 *


 

温泉ってなんでこんなに染みるんだろう。 じじくさい感想と共に、深く息を吐いた。

雨ですっかり冷えてしまった身体を、温泉はじんわりと温めてくれる。

ホテル内の温泉に浸かりながら、沖田はここまでのことを思い返していた。


 

「…歩きづらいんですけど。 つーか手が濡れる」

「でも傘差しながらじゃ腕組めないし、手繋ぐしかないアル」

「何なの、くっつかないと死ぬ病気か何か?」

「か、かけおちだから。 ほら見てヨ、前歩いてるカップル。 あっちも手濡れてるのに繋いでるデショ?」

 

傘を買ってやってホテルに戻る際、わざわざ別々の傘を差しながら、手を伸ばして握ってきたのだ。 かけおちごっこはまだ続いているらしい。 雨の中でまで徹底しなくてもいいだろうに。 これなら相合傘で歩いていた時の方がマシだ。

 

それでも拒否できなかったのは。 目が合えばそっぽを向く癖に、触れていれば安心したような横顔を覗かせてくるから。 きっと神楽は今、孤独と戦っていて。 誰かのぬくもりが必要なんだと思えば、無下に扱えなかった。

 

嫌いな男にも懐くぐらいだから、もし一緒に来たのが他の男だったとしても、手を繋いだのだろうか。 男と旅行がどんなに危険なことか全くわかっていない様子だが、もし他の奴とどうにかなっていたら…と想像して身震いした。

それとも…甘えてくるは俺が相手だから? すぐにありえないと否定した。 犬猿の仲だったはずだ。 だがいくらなんでも嫌いな奴と旅行に行くだろうか? 行くかもしれない、人懐っこい彼女のことだから。

 

否定に否定を繰り返しても、どれもしっくりこない。 考えれば考える程頭の中がごちゃごちゃだ。 他に浴場に誰もいないのをいいことに、お湯を思い切り顔にかけた。 一度全てをリセットした上で向き合うためだ。

彼女が望むなら、似合わないと重々わかっていても役目を全うしよう。 誰かに甘えたいというなら、できる限り甘やかしてやればいいのだ。


 

*


 

後から部屋に戻ってきた神楽は、なんとも色っぽかった。 ただ温泉で肌が上気し桃色に色づいているだけ。 そして普段見慣れない髪を下ろした姿が、なんか唆るというだけ。 これはあのクソチャイナ、ムカつくクソガキ。 必死に言い聞かせる。

 

「ふー。 いいお湯だったナ」

「ソウデスネ」

「何で敬語? それより、明日のスケジュール決めちゃおうヨ!」

 

脚を組みながらベッドに腰かける仕草で、はだけた太ももに目がいってしまう。 神楽は館内着に用意された浴衣ではなくチャイナ服だった。

聞けば自分では上手く着られなかったらしい。 この時点で嫌な予感がした。

 

「だからネ、お前に着せてもらおうと思って」

 

わざとらしく長いため息をついてやれば、膨らむ頬。 一度脱がなきゃ着せられないのだが…。

 

「アホか。 もしくは痴女か」

「し、仕方がないデショ! そうしないと着られないっていうなら…見てもいいから」

 

いや良くない。 非常によろしくない。

 

「諦めてチャイナ服で寝ろィ」

「せっかくの温泉宿なのに!? ぱぱぱーっと着せるだけなんだからいいデショ?」

 

上目遣いでお願いされれば、断りきれなかった。 極力肌に触れないよう、視線を変なところに向けないように。 しかし腰に浴衣を這わせる時にどうしたって細い腰から胸にかけてが見えてしまう。 キャミソールは着ていたがどう見てもノーブラ状態のそこに、顔に熱が集まる。 せめてと、神楽の言う通りぱぱぱーっと高速で着付けていった。

 

「お前上手いアルな…」

「そりゃあ普段和服着てるし」

「ふーん。 ……女の着物脱がせたり着せたりし慣れてるんじゃねーだろうナ?」

「は? 姉上の以外で誰かに着付けしたのなんざ初めてだけど」

「あっそ」

 

質問の意図がわからず顔を覗けば、ちょっぴり怒った顔をしていた。 これはかけおちごっこの延長で妬いてる女を演じているのか、はたまた…。 冷静に違いを見極められる程の余裕が今の沖田にはない。 既に下半身がいろいろとヤバイ。

 

「あー……明日のスケジュールだっけ?」

「そう! 温泉で一緒になったお姉さんにオススメのところ聞いてきたから、パンフレット見ながら考えようヨ!」

 

こういう時は子供っぽい表情を覗かせる。 今はその顔の方がありがたかった。

窓際にあるテーブルと2つのイスにそれぞれ腰かけ、周るポイントをメモしていく。 食べ物に関する情報だけやたらと詳しくて、お姉さんとやらをさぞかし困らせたことだろうと想像すれば、笑いが込み上げた。

 

「何笑ってんだヨ」

「いや? お前らしいなって」

「ふんっ。 どうせお前もガキだって思ってんダロ」

「お前もって? 旦那にガキだって言われたか」

「………」

 

沈黙するということは図星らしい。 ケンカして家出するぐらいだからそりゃガキだろう。 身体だけは大人になっていきやがって、とまた視線がおかしな方に流れていたのを慌てて逸らす。

 

「…銀ちゃんだけじゃないヨ。 新八も、姉御も、近所のおばちゃんたちも。 トシやゴリだって、みんな私のことをガキ扱いするアル」

「そりゃそうだ。 大人から見りゃおめェはまだまだガキだし。 割り切るしかねェぜ。 出逢った時がガキならいくつになってもガキ扱いされる運命なんでィ」

「それ経験談? そう考えられるようになった分、お前もちょっとはガキじゃなくなったみたいアルな」

「俺は前から大人だったけどな」

「お前は今も昔もクソガキアル」

 

掴み合いのケンカになりかけて、すぐに手を引っ込めた。 不思議そうな顔をする神楽に、せっかく着付けた浴衣が崩れると言い訳しておく。

 

「でもネ、私がガキ扱いされて1番ムカつくのは…お前だから」

「は? 俺?」

「うん。 精神年齢私より下の癖に、時々大人みたいな顔されると…心底ムカつくアル」

「だから俺は大人だっつーの」

「お前に子供扱いされると……ごっさ悲しいアル」

 

その言葉に沖田は一瞬固まった。 悲しいと言った神楽の表情は、どう見ても子供ではなかった。 同レベルの奴に置いていかれたくない的な意味ではないのか。 思わずゴクリと唾を飲み込めば、神楽が急に立ち上がった。

 

「ねぇ。 着付けてくれた時に見た私の身体…どう思った?」

「はぁ!?」

 

思いっきり咽せた。 咳き込む間に隣に寄ってきた神楽に背をさすられる。 今はマジで近づかないでほしいのに。

 

「子供…だった?」

「………、」

 

ナニコレ。 なんて答えるのが正解!?

下手に「ガキ」と答えれば余計に傷つけてしまう恐れがある。 かといって「充分エロいよ、お前の身体」なんて正直に言おうものなら、殴られて部屋を追い出されかねない。 ホテルの廊下で一夜を過ごすなど勘弁だ。

 

「…まぁ、成長はしてんじゃねェの? 腰細っせェなぁとは思ったけど」

「ボンキュッボンだったアルか? 出るとこ出てきてたデショ? どう思った?」

「はぁ?」

 

そんな質問をされれば、ついそこを目で追ってしまう。 胸は…思ったより成長してるし、腰は折れそうなぐらい細い。 尻はたぶん小さい方だが充分美味しそう…って何考えてんだ。

葛藤して言葉に詰まっている間に、神楽は尚も近づいてくる。 膝立ちのまま、またもや腕に絡みついてきた。 当たる胸の柔らかさに頭が沸騰しそうだ。

 

「ねぇ。 私って魅力ないアルか?」

「…………んなわけねェだろ」

「え?」

「だから……お前は充分女だし、こうやって軽々しく男にくっついてくんじゃねェって言ってんだ。 そもそも男と2人で旅行に行くのもおかしいし、同じ部屋とか意味わかんねェ」

「それは、」

「そういう脇が甘ェところがガキだって言われんだろィ。 大の大人はこんな簡単に隙見せねェし、きちんと弁えてるもんだぜィ。 痛い目見てから後悔しても遅ェんだ。 とっとと離れ――」

「もういいっ!」

 

急に声を荒げた神楽は、自分のベッドに入り込んでしまった。 諭すような言い方になったのがまずかっただろうか。 だが正直離れてくれて助かった。

 

「そういうことが聞きたかったんじゃないのに! 沖田のバカ! わからず屋!」

 

怒り出したポイントがよくわからないが、これで寝てくれるなら安心だ。 明日のスケジュールも概ね決まっているし、照明を落としてベッドに入る。

 

しかし、一向に眠気が降りてこない。 あと下半身も治らない。 さすがにこの薄い壁の中トイレでどうこうしてこようという気にもならないので、結局鎮まるまで大人しくしているしかないだろう。

そんな矢先、寝たと思っていた神楽がまたもや爆弾発言を繰り出してきた。

 

「おきた…」

「ん? 寝てんじゃねェのかィ」

「眠れないアル…。 だから一緒に寝ヨ?」

「…………はぁ?」

 

言っていることがすぐに理解できず、しばし沈黙してしまった。 布団から出ようとする神楽を慌てて制止する。

 

「待っ……ダメに決まってんだろ!!」

「なんで? そんな慌てる程嫌なのかヨ…」

「嫌っつーか…お前さっきの俺の話聞いてた? 同じ部屋もまずいし、同じ布団はかなりまずいって」

「どうせ私はガキだし、ガキと一緒に寝たって問題ないダロ」

 

きちんと「お前は充分女だ」と言っておいたはずなのだが、変なところしか拾ってないらしい。 とにかく絶対ダメだと、布団から出て神楽を元の位置に押し込める。

 

「あのなぁ。 もう一度言うけど、お前はちゃんと女だし、中身はともかく身体つきは立派に大人だからさ」

「本当…?」

「おう。 少なくとも俺にはそう見えるから。 だから今日は大人しく寝てくれ…頼むから」

「…“今日”は?」

「おう。 早く寝ないと寝坊するぜィ…朝食バイキングに」

「ば、バイキング!!」

 

なんとか宥められたようで、安心して自分のベッドに戻った。 おやすみ、と声をかけあって寝ようとしてみるも、やはり訪れない眠気。 諦めて仰向けの体勢から神楽の方へ寝返りを打ってみれば、ばっちり空いている目と目があった。

 

「…お前も眠れねェの?」

「うん。 沖田も…?」

 

いつの間にか名前で呼ばれているが、ちょっとは懐かれている気がして複雑な気持ちになった。 懐かれたといっても結局は銀時の代わりでしかなく、いずれ用済みになるのだろう。 大体保護者ポジになりたいわけでもないのに。

 

「枕が違うと寝れねェ質なんでィ」

「ナイーブだよナ、お前」

「うっせェ。 お前は? なんで寝れねェの」

「………」

「旦那とケンカしたこと気にしてんのかィ。 結局ケンカの理由はなんなんでィ」

 

今なら聞けるかもしれないと思ったが、神楽はダンマリを決め込んでしまう。 互いに布団に入った状態でしばし見つめ合う。 おずおずと口を開いた神楽が紡ぐ言葉は。

 

「…家族ってさ、なんなんだろうナ」

「は?」

 

教えてくれるのかと思いきや、質問が返ってきた。 沖田は思わず肘をついて上半身を起こす。

 

「お前にとって家族ってどんな定義アルか。 血が繋がってるかどうか? 一緒に住んでるかどうか?」

「まぁ…普通はそうなんじゃねーの。 正直俺もよくわかんねー。 俺にとっちゃ姉上しか知らないし」

 

神楽がハッとしたような顔をした。 そういえば沖田の両親が幼い頃に亡くなっていることを、話したことがあったような気がする。 姉が亡くなったことも確か知っていたはずだ。 小さく「ごめん」という声が聞こえて、少し居心地が悪かった。 そういう気の遣い方ができるのも意外で。

 

「別に。 で、おめェは何が言いてェの? 血の繋がった家族の話? それとも…万事屋?」

 

後者か。 反応でそう判断する。

 

「お前にとって真選組は家族じゃないアルか」

「家族…どうだろうな。 職場って感覚の方が強ェし、人数も多いしよ。 てめェら万事屋と比べてもそういう意識は生まれにくいんじゃねーかな」

「そっか…。 あのナ、私にとって銀ちゃんは別にパピーでも兄貴でもないし、マミーでも姉ちゃんでもないアル」

「うん。 マミーや姉ちゃんだった方が驚きだな」

「どれにも当てはまんないけど…でも家族だって思ってたのヨ。 新八も、定春も。 下のババァやキャサリン、たまだって…親戚のおばちゃんみたいなものだって思ってる」

 

正直何が言いたいのかが見えない。 それでも沖田は茶化すことなく、時折相槌を打ちながら話を聞き続けた。

 

「お前がそう思ってんならそれでいいじゃねーか。 一体何を気にしてるんでィ」

「…思ってるだけじゃダメな時ってあるんだナって。 そんな当たり前のことに今更気づいちゃったアル」

 

よくわからないが、きっと神楽は何らかの壁にぶつかってしまったのだろう。 本当の家族でないと乗り越えられないような、壁に。

ここで沖田がかけるべき言葉は何なのだろうか。 家族なんてものの定義はわからない。 沖田にとっては姉こそが家族としての全てで、幼い頃は姉と近藤さえいれば世界は完成されていると本気で思っていた。 今はそんな狭い世界に入り込んだ存在がたくさん増えて、神楽もその中の大きなひとりだったりするのだが。

 

きっと神楽の世界にとって、万事屋の2人と1匹が占める割合は相当に大きいのだ。 それを否定するような存在が現れたのか、はたまた銀時自身が否定するような言葉を放ってしまったのか。 そんなところだろうと沖田は予想しているが、だとすれば解決できるのは当事者だけだ。

だからここで沖田にできることは、きっと何もない。

 

「…そっか」

「うん」

 

話が唐突に途切れた。 沈黙が重い。 黙るということは、神楽は沖田に何かを言ってほしくて待っているのだろうか。

 

「手…」

「は?」

「手! 一緒に寝なくてもいいから…こっち来て握っててヨ…」

 

言葉ではなく手を要求され、沖田はぽかんとした。 こんなかわいらしいことを言うようなキャラだっただろうか。 それとも彼女の保護者は…いつも眠れない日や寂しくなった日に手を握っているのだろうか。 親子のようなものだとわかっていてもムッとした。

 

わざとらしく舌打ちしてから握ってやった。 神楽のベッド脇に胡座で座り込めば、必然的に近くから顔を覗き込む体勢に。 滅多に見せない弱っている姿を近距離で見るのは、どうにも居心地が悪い。

 

「…前から考えてはいたんだけど、きっと私は万事屋を出た方がいいんだろーナって」

「あ? 出る?」

「うん。 ひとり暮らしってヤツ」

「あぁ…居住区としての話な」

「当たり前アル。 辞めるかと思った?」

「んなことしやがったら、また宇宙から引きずり戻してやらァ」

 

ニヤリとそう言ってやれば、何故か布団顔を隠された。 何か変なことを言っただろうか。

 

「お前は笑うと思うけど……ひとり暮らしするの、不安だし嫌アル。 マミーが死んじゃってから、半分ひとりで生きてきたようなもんだったから…」

 

そこで初めて、神楽の生い立ちや万事屋に来るまでの経緯を詳しく聞いた。 こんなに深い話をし合ったことなど一度もない。 それどころか、罵り合いや軽口以外でまともに会話する機会がほとんどなかった2人だ。 拳で語り合うことで、なんとなく抱えているものを分かちあうことはあったけれど。

 

「なるほどねェ…。 無理して今すぐひとり暮らしする必要もねェんじゃねーの?」

「ううん。 銀ちゃんもきっと、それを望んでるんだと思う」

 

そりゃ部屋から追い出されてまともに寝る場所もない状況なら、そう思うだろうけれど。 銀時に対する少しの同情と、一緒に暮らしていることへの嫉妬のようなものが、沖田の心中で複雑に入り混じる。

 

「…いつか出て行かなきゃいけねェ日が来るかもしれなくても、甘えていられるうちはとことん居座りゃいいだろ」

「お前はひとり暮らししたいって思ったことある?」

「そりゃあな。 一応個室だけど、プライバシーもクソもあったもんじゃねーし」

「実際にしてみたらすっごく寂しがるだろーナ」

「あぁ、近藤さんたちが」

「いや、お前が」

「………」

 

揶揄うような口調ではなく真顔に言われてしまえば、否定しづらい。 いつの間にやら本音で語り合うみたいな空気が流れている。

 

「それはさておき、今度はお前の話も聞かせてヨ」

「俺の話?」

「私の話はいっぱいしたアル。 だからお前の話も聞かせてくれなきゃフェアじゃないダロ。 …もちろん、言いたくないこともあるだろうから無理にとは言わないけど…」

 

思わず何度か瞬きした。 意外だったからだ、沖田の話に興味を持つこと自体。 握っていた手に少しばかり力が入ったのを感じて顔を覗き込むも、暗がりの中で伏せられた目からは何を考えているか読めない。

 

しばし考えてから、沖田は自分も家族の話をしてみることにした。

当然ほとんどが姉の話になる。 てっきりシスコンだのと茶化されるかと思いきや、神楽は意外にも静かに話を聞いていた。 時折質問を交えつつ、興味を持って聞いてくれている。 だからだろうか。 過去の自分の恥ずかしい思い出や、姉が亡くなった日の…どうしようもなく子供だった自分の話までしてしまったのは。

 

「んな話聞いて面白いの?」

「面白くはないダロ。 普通に…切ないって思ったアル」

「へぇ…客観的にはそう思えんのか。 こんな話誰にもしたことねェから、なんか新鮮だわ」

「私も地球に来る前の話を誰かにするの、あんまりない…というか正直思い出したくないことけっこうあるから」

「俺も、さっき話したのは黒歴史に近いかも。 今でもダッセェなって思うし」

「そんなことないアル。 お前の、お姉さんへの想いは充分伝わったもん」

 

うわ…なんだろうこの空気。 互いに目を逸らした。 それでも繋がったままの手から、神楽の想いのようなものが伝わってきて…どうしようもなくあたたかかった。 ただでさえ普段と違って刺のない、包み込むような声音の神楽に、ずっとドギマギしていたというのに。

 

「あのネ。 話聞いてみて、私たちちょっと似てるのカナって思ったのヨ」

「…どこが」

「内緒。 でも…言わなくてもお前もわかってるダロ」

 

なんとなくわからないでもない。 家族を大切に思えば思うほど、孤独を感じていた。 いつ失うかもしれない恐怖を、幼い頃から抱えて生きてきた。 それでも決してひとりではなくて、周りには血の繋がった家族ではないけれど…支えてくれる仲間たちが、いつだって側にいた。

 

全く違う場所に立っていると思っていた神楽が、案外似たようなものを抱えていた。 光の道をまっすぐ歩いてきたと思っていた少女が、時折寄り添うように隣にいてくれたのは…どこか同調する部分があったからかもしれない。 彼女に惹かれる理由もそこにあるのかもしれないと気づいてしまえば、ますます離れ難くなるというのに。

無意識に握った手に力が入る。

 

「でも銀ちゃんは…家族を知らないから。 物心ついた時にはひとりだったって。 それってどんな気持ちなんだろうって想像しても…全然わかってあげられないのヨ」

「……」

「だから時々置いてかれる気持ちになっちゃうのカナ。 私も、新八も」

「…旦那が誰にも踏み込ませないのは、そのせいだけじゃねェ気がするけど」

「そうだネ。 だからこそ家族でいたいって思ってるんだけど…迷惑なのかな」

「んなわけねーよ。 うれしいに決まってらァ」

 

神楽が寄り添ってくれた時のことは、一生忘れられない程に刻み込まれている。 六角屋の事件の時も、近藤が捕われてしまった時も、江戸を離れる時も。

沖田でさえそうなのだ。 ずっと側にいた銀時にとって、神楽の存在は何度も支えになってきたはずだ。 その事実には胸がちょっと…どころじゃない程に締め付けられるけど。

 

「血の繋がった家族だって、わかり合えないこともある。 家族だからって全部受け入れる必要なんざねェ。 お前のその、『家族でいたい』って気持ちこそが支えになるんじゃねェの」

 

沖田なりの言葉で伝えてみる。 万事屋の絆の中に入り込めるわけではないけれど、仲直りのきっかけに少しでもなればいいと思う。

 

「………そっか。 気持ちこそが大事だったアルな」

 

思うところがあったのか、神楽は目頭をそっと空いた腕で押さえつけると、しばし震えていた。

泣いているのかもしれない。 きっとそれを沖田に見られたくないのだと察して、そっと視線を逸らす。 ズズ…と時折鳴る音も聞こえないフリをして、ただ彼女の震えが止まるまで手を握り続けた。

 

その内落ち着いたのか、腕が下されたのを気配で感じて振り返る。 時刻は日付が変わる直前に差し掛かっていて、ようやく眠気が降りてきたらしい表情に「寝ろ」と促した。

 

「ねぇ…やっぱり一緒に寝ちゃダメアルか?」

「バカなこと言ってねェで、さっさと寝ろィ」

「ちぇっ。 兎さんと一緒に寝るからいいもん…」

 

いつの間に飾っていたのか、神楽はベッドの頭の辺りにあった兎の家族をそっと胸に抱き寄せる。 先程沖田が土産屋で買ってやったものだ。 余程気に入っているらしく、笑いかける顔が眩しくて目を逸らす。

静かな寝息が聞こえてきて、やっと安堵した。 握り続けた手はすっかり汗ばんでいるが、神楽は一度も離そうとしなかった。

 

複雑な心境を抱きながら、沖田は手を握り続けたまましばらく寝顔を眺め続ける。 安心しきった表情に、下心よりも見守りたいという気持ちが上回って。 銀時との約束がどうというより、家出して弱りきっている神楽につけ込むような真似はしたくなかった。

 

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