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* 2日目 昼*


 

朝食バイキングで膨らみきったはずのお腹は、すっかり元の吸引力を取り戻していた。 目につく美味しそうなものを片っ端から頼む神楽に、昨晩のような遠慮はどこにも見当たらない。 沖田もとことん甘やかすと決めた以上、文句は口にしなかったが…。

 

「ブラックホールでも胃に備わってんの?」

「だったらこんなにお腹膨れるわけないダロ。 消化が早いだけアル」

「どっちにしろ宇宙の神秘を見た気分だわ。 すげェな、さすが宇宙人」

「私から見たらお前が宇宙人だけどナ」

 

散々食べまくって満足した2人は、松山観光のメインである松山城に来ている。

 

「どれも似たようなモンだと思ってたけど、こうして見ると江戸城とはいろいろ違うんだな」

「山の上みたいなところに建ってるんだナ。 ここからどうやって上まで行くアルか…?」

「ロープウェイがあるから、城下まではそれで登れる」

 

ロープウェイ乗り場まで赴いたところで、リフトにも乗れるらしいことを知った神楽が乗りたがった。

 

「ひとりずつしか乗れないアルか…」

 

一緒に乗りたかったらしい神楽が、渋々沖田の腕から離れた。 寂しそうな顔を見せたのは一瞬で、すぐにリフトに乗るわくわく感に目を輝かせる。

右側がやけにスースーする。 何故なら、観光に出かけてから今まで…ずっとくっつかれていたからだ。

 

ここに来るまでの道のりを思い返しても、バグとしか思えない距離感だった。 腹ごなしに神社の急階段を競争しながら上ったり、路面電車が路線バス並みに複雑に分岐していたせいで乗り間違えたり。 口喧嘩になる場面も多数あったのだが、神楽は一向に離れようとしない。 指摘しても「かけおちだから」だの「傘持ってるのがお前だから」だの妙な言い訳でかわされ、そのうち面倒になって放置した。

口汚さや表面上の態度は以前と大して変わらないのに、物理的な距離感や時折見せる表情が全然違う。 そんな違和感も徐々に慣れてきてしまった。

 

「あれ! あれがごっさおいしいらしいのヨ!」

 

緩やかな坂道を登っていくと、城の入口手前の本丸広場が広がっている。 そこにあるお店で食べられるいよかんソフトが美味いのだと、昨晩情報を仕入れたらしい神楽に強請られた。 確かに美味かったが、それ以上にうれしそうに食べる神楽を見ていることが幸せに感じる。 こんな時間も今日と明日で終わってしまうのだと思えば…と、らしくもない感傷に浸った。


 

「ここんち階段ごっさ急過ぎないアルか!? 滑りそうで怖いアル!」

「城をひとんち呼ばわりするお前の方が怖ぇーよ」

 

そよ姫と仲がいいとはいえ、江戸城を遊び場だと勘違いしているガキは他にいないだろう。

天守の中は梯子並の急階段だらけで、正直子供やお年寄りが観光するには危険なレベルだと感じた。 江戸の都会的すぎる風景と比べ、ここは山も海もばっちり見える。 見慣れた江戸城からの景色との違いに興奮している神楽なら、滑り落ちかねない。

 

天守の上の方まで登れば、山の上だけあり空気も美味しく景色はきれいで。 その上、隣には神楽の笑顔とぬくもり。 癒し効果ハンパねェ…とニヤける口元を抑えているうちに、神楽が窓枠から身を乗り出した。

 

「ごっさキレイアル〜!」

「っ…オイ!」

 

窓といってもただの木枠で、そして地面までかなりの高さがある。 にも関わらず遠くの景色に気を取られ必要以上に乗り出す神楽に、慌てて腕を引いた。

 

「ひゃっ」

「危ねェだろーが!」

 

思った以上に引っ張ってしまったのか、胸に小さな身体が飛び込んできた。 腕や手に抱きつかれることはあっても、こうして正面から身を寄せた状態は初めてで。 距離を取ろうと神楽の肩を右手で掴むも、目が合った瞬間にピタッと身動きがとれなくなった。

赤に染まった顔、驚きに開いた目が上目がちに見つめてくる。 ただそれだけの表情が、思わず息を飲むぐらい扇情的に映った。

おかしくなった距離感に、近づくのを許されたような気になっているだけ。 頭ではわかっているのに、顔を近づけそうになって…。

 

そこで家族連れの一向が通りがかって、大急ぎで肩を押した。 

訪れる気まずい空気。 誤魔化すために神楽の手を取り先に進んだ。

 

「階段も急だし窓も危ねーから、気ぃつけろィ」

「う、うん…」

 

腕には平気で抱きついてくるのに、ちょっと抱き寄せた程度で赤くなる意味がわからない。 それでも少しは男だと意識されているのかと思えば悪い気はしなかった。 これで少しは距離を取るようになってくれればいいのだが。

 

そんな沖田の想いとは裏腹に、どういうわけか神楽は更に密着してくるようになった。 帰りはロープウェイがいいと言い出し、満員でもないのにくっついてくるし。 三津浜焼きが食べたいと言うので連れて行ってやれば、何故か向かいではなく隣の席に座ってくるし。 しまいには躊躇なく「あ~ん」とやらをかましてくる始末。 確かにお腹が空いてないからひと口もらえりゃいい、とは言ったけれども。

 

「この三津浜焼きっておもしろいアルな。 お好み焼きなのにクレープみたいネ」

「どっちかつーと広島風近いんだろうけど、そばとうどんが選べるってのもおもしろいよなァ」

「じゃあもうちょっと食べるアルか? はい、あ~ん」

「……」

 

三津浜焼きとやらがおいしいのか、それとも神楽に食べさせてもらっているか旨く感じるのか、判断がつかない。 どうにでもなれと受け入れれば、この笑顔が見られるのだ。 深く考えるのをやめた。


 

*


 

再び満腹になった神楽の手を引き、いよいよ温泉に向かうことにした。

道後温泉には3種類の施設があり、本館と椿の湯、そして別館である飛鳥乃湯だ。 沖田の希望で、料金は少し高いが混雑が少ないという飛鳥乃湯に入ることにした。 当然男女別なので、別れ際に頬を膨らませた神楽を宥める。 一緒に入れる家族風呂の方がいいと言い出した時には、さすがに頭をぶん殴った。

 

さすが本場の温泉だけあり、めちゃくちゃ癒された。 相当疲れていたらしいことを思い知らされる。 重要な討ち入りで1週間ほど働き詰めだった上、ここ2日間は気を張りっぱなしだった。 ようやく訪れたひとりの時間を満喫するはずが、ほんの少し神楽と離れているだけで妙な物足りなさを感じてしまう。

こんな状態で元の生活に戻れるのだろうか。 だいぶ懐かれたようなので、江戸に戻っても前よりは仲良くできるといいのだが。 どうせ銀時と仲直りすれば自分は用済みなのだろうけど。

 

結局神楽が気になって、長居できなかった。 1階の浴場以外に2階の個室の休憩所を利用できるプランを購入しているため、休憩しながら待っていれば、神楽の方も意外と早くやってきた。

 

「早かったねィ。 もういいのか」

「うん。 すっごくいいお湯だったアル! でもお前がいないとなんか…物足りない気がしちゃって…」

 

同じことを思っていたらしい少女に、思わず笑みが浮かんだ。 それが珍しかったからか、神楽は一瞬固まってから隣に腰かけてくる。 隣どころか完全に密着した距離…。

お風呂上がりというのはどうしてこうも特別感があるのだろう。 シャンプーの甘い香りに、上気した肌。 昨夜は踏み止まれたのに、下ろされたサラサラの髪に思わず触れてしまった。

 

「っ、おきた…」

「髪、伸ばしてんの?」

「え? 別に伸ばしてるってわけじゃないけど…。 宇宙にいた間は切ってる暇もなかったから、そのままになってるアル」

「ふーん。 改めて見ても不思議な色だよなぁ」

「変…カナ。 地球人から見たら相当変わってるもんナ…」

「いや、キレイだと思うけど」

「へ?」

 

梳くようになでていると、思わず溢れた本音。 慌てて「中身に似合わず髪だけはキレイじゃないこともねーって言ってんでィ!」なんて言い訳した。 ガキか。

 

「髪だけって何ヨ! お前は髪も中身も茶髪な癖に!」

「それ前にも言ってたけど、本気で意味わかんねーから。 そういやおめェ、その浴衣自分で着付けたの?」

「あ、うん。 昨日お前がやってくれたの、見様見真似でやってみたアル。 大丈夫カナ?」

「若干崩れてんな。 ちょっと立ってみ」

 

襟が少し弛んで谷間が見えかかっている…のには目を向けないようにして、帯の周囲がグシャッとなっているのが気になった。 結局昨日と同じように、一度脱がせてから着付け直す羽目に。

そうそう、昨日と同じように…と意識すればする程、違いを意識してしまう。 2人が纏う空気、距離感、温泉の個室という特別感が雰囲気をガラリと変えてしまっている。 これはまずいやつ…そう思った矢先、何を考えたのか神楽がそっと身を寄せてきた。

 

反応が遅れたのは、目を逸らす方に意識を割きすぎたから。 驚きのあまり声も出なかった。

思い出すのは、城で正面から抱き寄せてしまった時のこと。 あの時と同じ構図、だが明らかに違うのは…神楽が下着姿であるということ。

ブワッと、全身から汗が噴き出したかのような感覚を覚える。 まずい、非常にまずい。 脳が危険信号を出しているのに、身体は一向に動かない。 辛うじて出した声は、酷くかすれていた。

 

「チャイナ、てめェ……何して…」

「な、なんでもないアルっ。 ここ、明るいから…急に恥ずかしくなっちゃって…。 こっ、こうすれば見えなくなるかなって!」

 

見られるより数倍まずいことになっている状況に、何故気づかないのか。 肌が直接触れているのに、何故嫌がらないのか。 わからない。 神楽が何を考えているのか、冷静に見極めるだけの余裕がない。

 

「……こんなにくっついて、平気なのかよ…」

「うん。 ……あのナ、私気づいたアル! こうやってくっついていれば、お前とケンカにならないってことに!」

 

唐突な謎理論に、さすがに呆れるしかない。 

観光地でのケンカはさすがに気が引けるからだの、よくわからない言い訳は更に続く。

 

「割と口論にはなってんだろーが。 お前のケンカの基準がわかんねェ…」

「手が出たか否か」

「あっそう…」

「あとネ。 お前といるとイラッとすることも多いけど…」

 

まだ何かあるのか。 いい加減離れてほしいと思っているのに、どうしてもその肩を押し返すことができない。 胸の奥で渦巻いた期待が、冷静な思考力を溶かしていく。

 

「その分他の嫌なこととか、そういうのがどうでも良くなっちゃうアル…。 ムシャクシャした日はお前とやり合えばストレス発散になるし」

「…サンドバッグ扱いかよ」

「た…ただのサンドバッグだったら、こうやってくっついたりしないかもヨ…?」

「どういう意味?」

「っ…なんでもない! こうやってお前と過ごすのも案外悪くないかなって言っただけアル!」

「………」

 

一体何をどう受け取ったら良いのだろうか。 喜んでいいの? 脈ありとかいう奴? それともこの女、ちょっと優しくされりゃ誰にでもこんなこと思うんじゃねェの? どうなんだこりゃ…。

 

芋侍にこの場を収めるだけの余裕などあるわけがない。 混乱を極めて固まっているうちに、神楽がそっと身体を離した。

その時見えた表情が悲しげだったことから、選択肢を間違えたのかもしれないと思った。 そんな可能性が頭に浮かんだものの、これ以上どうすることもできなくて。 ただあまりに目の毒すぎる光景を隠すべく、素早く着付けした。




 

* 2日目 夜 *


 

空気が重い。 神楽は、もう何度目かわからないため息をついた。

こうなってしまった原因が自分にあることはわかっていた。 それでも落ち込んだ心はなかなか浮上してくれない。

 

恐らく気を遣って買ってくれたのであろう。 手元にある瓶を眺めてから、ちびちびと口に含む。

神楽が伊予柑サイダー、沖田は道後サイダーとラベルに書かれたジュースを飲みながら、商店街のアーケードを歩いていた。 温泉の後の一杯は、本来なら最高に美味しいはず。 だが今の神楽の心に、晴れやかな色のジュースは似合わない気がした。


 

一歩前を歩く沖田の後ろ姿に、胸が締め付けられた。 さっきまで当たり前のように隣を歩き、寄り添っていたのに。 今はそうするだけの勇気が湧いてこない。

ある種の賭けだったのだ。 旅行の終わりが近づけば近づく程に、どうにかしなければという想いは強まる。 だから恥ずかしい気持ちよりも焦りが先行して、下着姿のまま抱きついた。

思い出すだけでも顔から火が出そう。 だがそれ以上に、そこまでしても何もされなかったことがただ悲しかった。

最初はただ困惑していたように思う。 素直になれず言い訳が妙な方向になってからは、ただ呆れたようにツッコまれた。 最後は何事もなかったように浴衣を直されて、それで終わり。 ドキドキしていたのも、緊張していたのも自分だけ。

 

昨日は家出のことで頭がいっぱいだったけれど、昨晩の会話で心が軽くなったから。 せっかくの旅行を楽しもうという気持ちと同時に、この機会に少しでもアピールしようという欲が湧いてきて。 しかし裸に近い姿を見せても、密着しても、一緒に寝ようと誘ってみても。 沖田は一向に神楽をそういう対象として意識する素振りは見せなかった。 いつも通りのポーカーフェイス、むしろいつもより大人な対応だったように思う。

甘えれば甘やかしてくれることに、最初は浮かれていた。 くっついても拒絶されないことがうれしかった。 ふたりきりの時間が幸せだった。 それがどんどん焦りに変わっていったのは、共に過ごす時間を重ねれば重ねる程…好きの気持ちが膨らんでいったからだろう。


 

そもそも「かけおちしたい」なんて無理やりな理由でここまで来てしまったのも、最初はただの勢いだったのだ。

家出する2日前に偶然遭遇した山崎との会話が、頭に残っていたから。

 

「うわっ。 ジミー、ひっどい顔してるアルな」

「あぁ、うん…。 立て続けに重要な討ち入りが入ってさ。 おかげで全然寝れてないんだよ…」

 

だから最近姿を見なかったのだろう。 無意識に探し求めていた誰かの姿を思い浮かべたちょうどそのタイミングで、山崎が発した名前にビクッと反応した。

 

「でも沖田隊長が1番大変だろうなぁ」

「っ! あ、アイツ、大変アルか…?」

「うん。 敵にそれなりに強い奴がいて。 沖田隊長レベルじゃないと歯が立たないから、ずっと出ずっぱりでね」

「ふ、ふーん…」

「疲れてるだろうから、会っても優しくしてあげてね」

 

優しくなんて、それができたら苦労しないのに。

その時だ。 山崎から、沖田が「温泉旅行に行きたい」と漏らしていたと聞いたのは。 明日で抱えている山は全て片付く予定で、明後日から3日程の休暇を土方が与えようとしているという話も。

聞いたからといって、同行しようなんて考えはこの時点では一切なかった。 ただそこで聞いた「温泉」という言葉で思い出したことがあり、それがきっかけで銀時とのケンカになった。 偶然にも、沖田が休暇に入る日と家出をした日が重なったのだ。

勢いで飛び出してきた万事屋。 最初は友達の家に泊めてもらおうと考えていた。 そこで思い出した沖田の休暇の話。 部屋に忍び込んでみれば。 半分冗談で話した旅行の話は、意外にもあれよという間に決まっていた。


 

俯きながら発端を思い出していたところに、沖田が振り返った。

 

「土産は明日の空港でも買えるけど、なんか欲しいモンあったら言えよ」

「…うん。 ありがと」

 

素直にお礼を言ったからか、少々驚いた様子だ。 いかに沖田の中での自分の印象が最悪か、思い知らされる。 こんなことなら普段からもっと愛想良くしたり、女の子らしく振る舞っておけばよかった。 後悔したところで、2年前の自分はそんなことを考える日が来るなんて微塵も思っちゃいないだろうけど。 こればかりは沖田の普段の態度も最悪だったから、お互い様だ。

 

よっぽど落ち込んでいると思われているのだろうか。 沖田はこの旅行中、驚くほど優しかった。 時々よくわからないタイミングで怖い顔にもなるけれど。

今だって気まずい空気を払拭するために話題を振ってくれたに違いない。 でも今は、その優しさが痛かった。 大人な対応をされればされるほど、お前はガキだと言われてるみたいで惨めに思えた。

 

「これなんかいいんじゃねーの? お前好きだろ、こういうの」

 

指差したのは桜柄のとんぼ玉に兎が乗ったキーホルダー。 また兎…。 確かに兎は大好きだし、神楽の好みにドンピシャなのだが、今の神楽にとって「子供っぽいデザイン」は地雷なのだ。 胸にわだかまったモヤモヤが、悪い方向に出てしまう。

 

「…いらない」

「え?」

「好きじゃない。 勝手に決めつけないでヨ! そんなの全然、好きじゃないモン!」

 

思わず大きな声が出てしまい、辺りが一瞬シーンとなる。 子供みたいなやつ当たりだとわかっているのに、止まらない。

 

「なんだよ急に。んな怒ることねーだろィ」

「お前のそういう、なんでもわかってるみたいな態度が気に食わないアル!」

「は? 何、ケンカ売ってんの?」

「お前の方がガキのくせに、そうやって大人みたいなフリして…! 昔からそう! 人のことバカにしたような態度ばっかで、ずっとムカついてたアル!」

 

実際に沖田は4つも年上だ。 それでも2年前まではもっとガキだったのに。 2年の空白の間に差がついて、旅行中はよりその差を見せつけられた気がしたから。

舌打ちが聞こえて、俯いた顔を恐る恐る上げる。 当たり前だが沖田は怒っていた。気を遣って声をかけて、善意でお土産を勧めた相手にいきなり悪口を言われれば、誰だっていい気はしないだろう。

 

泣きそうになって唇を噛み締めているうちに、沖田は「意味わかんねー」と吐き捨て、背を向けてしまった。

互いに無言のまま、ただとぼとぼとその背を追うしかできなくて。 あっという間にホテルに着き、ギクシャクした空気のまま寝る時間がやってきた。

 

「荷物、まとめとけよ」

「うん…」

 

2日目の夜が終わろうとしている。 明日の昼の飛行機で帰る予定だ。 このまま沖田と気まずいまま、銀時との件も心の整理がつかないまま、家に帰るしかないのか。

それが嫌なら今すぐ謝ればいい。 謝るという当たり前のことが素直にできるぐらいなら、そもそも銀時とケンカすることも、家出することもなかったのだから。 どうしようもなく子供で、愚かな自分に泣きたくなった。

 

先に布団に入ってしまった沖田に声をかけられないまま、自分のベッドに潜り込む。 その瞬間決壊する涙に、声を抑えることしかできなかった。

身体つきが多少大人っぽくなったからといって、中身がこんなに子供のままじゃ呆れられて当然だ。

 

恋をするとわがままになる。 少しでもいいから近づきたい、仲良くしてみたい。 最初はそんな気持ちだったのに、受け入れられてしまえば欲が出る。 手を繋ぎたい、気持ちに気づいてほしい、抱きしめてほしい、女として見てほしい、このままずっと一緒にいたい…。 エスカレートする想いは、留まることを知らない。

一緒に寝たいと誘った時も、下着姿で抱きついた時も。 このまま手を出されてもいいとさえ思っていた。 沖田の心がこちらを向いていなかったとしても、受け入れてほしかった。

 

なんてバカだったんだろうと、今なら思える。 沖田はきちんと向き合ってくれていたのに。 家出をして途方に暮れていた神楽の話を聞いて、彼なりの言葉で支えてくれた。 誰にも言えなかった深い話を真剣に聞いて、自分のことも話してくれた。

それだけで充分だったのに。 女として見られたいということばかりに意識がいってしまい、大切なことを忘れていた。 女性としてしか見てこない無粋な野郎なんかより、男女の垣根を超えてきちんと1人の人間として向き合ってくれることの方が、貴重で何よりも尊いことだ。 そうやって拳でぶつかり合える大切な存在を、浅はかな欲でなくしてしまったかもしれない。

 

そうして意地を張り続けているから、万事屋という大切な居場所をまた失うのかもしれない…。

ネガティブな思考が止まらなくなって、頭から被った布団の中で嗚咽を必死に抑える。 こんな弱くて惨めな自分を、沖田に見られたくなかったからだ。

 

そう思っているのに、どうしてこの男はいつも見つけてしまうのか。 近づいてくる気配に勘付いた次の瞬間には、思いっきり布団を捲られていた。

 

「あ……」

「お前さ。 本当なんなの。 やたらくっついてくると思えば、急にツンツンし出して。 しまいには泣き出すとか。 正直お手上げなんですけど」

 

一瞬止まった涙が、再び溢れてくる。 言われた通り、散々振り回されていい迷惑だと思われているに違いない。

それなのに、次の瞬間――。

 

「っえ…?」

 

呼吸が詰まる。 突然腕を引っ張られ、上半身を起こされたと思った次の瞬間…抱き締められていたからだ。

 

「あ………お、沖田っ」

「ふざけんじゃねーよ。 散々くっついてきたくせに、今更ひとりで泣くとか…」

 

突然の抱擁に涙も止まった。 あたたかいぬくもりと、聞いたこともないぐらい優しい声に安心する。

怒らせたはずなのに。 子供みたいな癇癪で困らせたはずなのに。 背中をなでてくれる手がひどく優しくて。 止まったはずの涙がじんわりと浮かんでくる。

 

「おきた…」

「おう。 泣きてェなら泣け。 ひとりで我慢したって何の解決にもならねェだろーが」

 

どうしてこんなに優しくしてくれるのだろう。 私が子供だから…?

それでもよかった。 沖田の視界に、ちゃんと自分が入っている。 それを実感できるだけでこんなに満たされる。

髪を梳くように頭をなでられれば、堪らずその背に腕を回して、縋るように抱きついた。

 

「ごめっ……ごめん、なさい!」

「俺も悪かった。 つい言い返しちまって」

 

横に首を振る。 沖田は何も悪くない。 むしろ自ら折れるという滅多にない沖田の姿に、よっぽど困らせてたのだと改めて実感して、更に申し訳なくなった。

しばらく腕の中でじっとしていると、つい漏れる本音。

 

「帰りたくないアル…」

 

こうしてふたりきりの時間を過ごせるのも、きっと今日が最後になるだろうと。 そんな想いで呟いた言葉だが、沖田はそれを「家に帰りたくない」という意味にとったらしい。

 

「いつまで逃げてても仕方がねーだろィ。 俺相手でもちゃんと謝れたんだ。 旦那に謝る方がハードル低いんじゃねーの?」

「それはそうだけど…」

「オイ、ちょっとは否定しろィ」

「謝って、許してくれるのかな…」

「そんなひでェこと言っちまったの?」

「言わせちゃったっていう方が近いかな…」

 

訳がわからないという顔の沖田に、経緯を話した。


 

*


 

それは商店街のキャンペーンだった。 大きく掲げられた「温泉旅行券!」の文字。

そういえば銀時がテレビを見て「あー、温泉行きてーなー。 普通のな。 スタンドとかそういうの一切出ない、普通の温泉んんんん」と呟いていたのを思い出す。

 

懸賞なので、当たるかどうかはわからない。 それでもチャレンジしてみる価値はあると思ったのだ。 これをプレゼントしたい! と伝えれば、きっと喜んでくれるはず。 当たる確率は低いかもしれないが、こういうのは気持ちが大事なはずだと、信じて疑わなかった。

配られていたチラシを1枚拝借して、しかしそのことはすっかり忘れたまま数日が経った。


 

「なんか温泉行きたいとか言ってたんですよね~、沖田隊長。 それが珍しくてさ。 どこかに行きたいとかあんまり言わないから、あの人」

「ふ~ん」

「俺も行きて~! 癒されて~!」

「じゃあ行けばいいダロ」

「行ったところで、どうせ副長からすぐ呼び出されるから…」

 

山崎から聞いたその話で、チラシのことを思い出した。 男は温泉で癒されたい願望が強いものなのか。

しかし当たる保証もない懸賞のことを先に話してしまうのはどうなんだろう。 当たってから話せばいいのかもしれないが、外れてしまえばプレゼントしたかった気持ち自体を伝えられない。 悩んだ結果、応募する前に話してみることにしたのだ。


 

「無理じゃね?」

「へ?」

「いやだってこれ、『ご家族様限定』とか書いてあるじゃん」

 

返ってきたのは、そんな反応だった。

その一文は、もちろん神楽も目にしていた。 何も疑問に思わなかった。 自分たちは「家族」なのだということに、一切疑問を持たなかったのだ。

 

「え……でも私たちは、」

「俺たちは家族じゃねェだろ」

 

あくまで軽く、銀時は言ってのけた。 神楽にとっては重い言葉だ。

この場に新八がいたら、なんと言ったのだろう。 銀時の言葉に同意したのか、一緒に反論してくれたのだろうか。

 

「こういうのは明らかに家族じゃねー奴らは受けられねェよ。 戸籍でも証明できないしな」

 

言われてみればそうなのかもしれない。 でもそんなの、やってみないとわからないじゃないか。

どうして最初から否定するの? 温泉に行きたいという言葉を聞いたから、ちょっとした親孝行のつもりで応募してみようとしただけなのに。

まるでその気持ちごと否定された気分になった。 しばし黙り込んだ後、社長机を叩いて反論した。

 

「そんなのわかんないデショ! 応募するだけタダなんだから、やってみたって…」

「無駄だっつーの! 向こうからはっきり『応募資格がないです』って言われるよりゃ、最初から応募しねー方がマシだろ」

「なんでヨ! じゃあチラシに書いてるこの番号に電話で聞いてみるアル!」

「やめとけって! そんなのいちいち認めてたら、家族のフリしたバカどもの応募が殺到すんだろ? 怪しい奴らは一概にダメっていうのが普通の会社なの」

「怪しいって何ヨ! 一緒に住んでるのが証明できれば問題ないアル!」

「新八は住んでねェだろ。 つーかさ、そこまでして行きたいとも思えねーしな、温泉」

 

最後の言葉が何よりショックで、前のめりになっていた身体をそっと起こした。

…温泉に行きたいと言っていたのは銀ちゃんなのに。 喜ぶと思ったのに。

 

「…もういい! 銀ちゃんみたいな頭の堅い天パヤローに親孝行なんて、一生しないアル!」

「おー、んなもんいらねーよ。 つーか親じゃねーし。 お前みたいな頑固で口うるせーだけのガキなんざ持った覚えねーから」

「っ…! わかった。 じゃあ出てく」

 

慌てた銀時が立ち上がる。 肩を掴もうとするのを払い除け、急いで鞄に荷物をまとめた。 何か言おうとしているのも全部無視して、最後は玄関扉を思いっきり閉めてやった。

 

そうして家出した足は、勝手に屯所の方へ向かっていた。 最初は友達の家を渡り歩こうと思っていたはずなのに、心のどこかで沖田の顔が浮かんでいた。 しばらく会えてなかったからなのか、無意識にアイツに頼ろうと思っていたのかはわからない。


 

*


 

腕の中で話しきると、沖田は頭をなでてくれた。 話している間もずっと背中をポンポンと叩いてくれて、なんでこんなに優しいのか意味がわからない。 コイツこんなキャラじゃなかったはずなのに。

 

「そりゃ旦那が悪い。 確かに正論だけど、言い方ってモンが……いや、俺が言えたことじゃねーけど」

「男ってほんとバカよね。 もっとプレパラートに包んだ言い方を学べって感じ」

「標準語で毒吐くのやめろィ。 んでオブラートな。 プレパラート知ってる方がすごくね?」

「…お前が昨日言ってた。 気持ちこそが大事なんじゃないかって」

「うん」

「私もそう思ってたアル。 だから外れちゃったとしても、家族じゃないからダメですって言われたとしても、プレゼントしたいって気持ちが大事なんだって。 でも銀ちゃんに全然伝わらなかった。 伝わらなかったことがショックで、怒っちゃったアル…」

 

そこで諦めてしまったから。 もういいって自棄になって、家を飛び出してしまった。

 

「でも、伝わらなかったなら、伝わるまで話せばよかったんだナって。 今は後悔してるのヨ。 ちゃんと自分の気持ちを伝えていれば、こんな険悪な感じにならなかったのかなって。 口にしなくても分かり合えるって思い込んで、意地張っちゃったアル…」

「それがわかってんなら充分だろ。 帰ったらちゃんと伝えればいい」

「……今からでも遅くない?」

「遅くねーよ」

「うん…。 上手く言える自信はないけど、ちゃんと話してみるアル!」

 

ケンカしたら仲直りすればいい。 そんな単純なことだったのだと、1人では気づけなかった。 沖田が話を聞いてくれたから、自分の中で気持ちを整理することができたのだ。 感謝してもしきれないが、それをどうしたら上手く伝えられるだろうか。

 

「お、沖田。 あの…」

「つーか伝わってんじゃねーの?」

「へ?」

 

ありがとうと伝えようと顔を上げたところで、至近距離で目が合う。 一気に熱くなる顔。 そういえばずっと抱きしめられていたのだと今更意識してしまい、胸の音がうるさくなった。 こんなにくっついていればこの音も聞こえてしまっているのではないか。 まさか伝わってるという今の言葉は、そういう意味じゃなかろうか。

 

「つ、伝わってるって、なに、何が!?」

「急にキョドってどうした? 何がって…だから、旦那に」

「銀ちゃん?」

「たぶん最初から伝わってんだろィ。 お前がプレゼントしようとした気持ちなんざ。 でも旦那も意地っ張りだし、素直じゃねーとこあんだろ? お前が急に親孝行なんて言い出したから、照れちまったんじゃねーのかィ」

 

まさか、そんなことがあるのだろうか。 …あるかもしれない。 例えばプレゼントしようとしたのが新八だったらと客観的に想像してみれば、素直に受け取る姿が想像できなかった。

 

「う~ん…」

「とにかくこれで解決な。 まぁ…もしダメだったら、お前の力で金貯めて連れてってやりゃあいいんじゃねーの? 温泉旅行でもなんでも」

「な…! そ、その手があったカ!」

「オメーじゃ一生無理かもだけどねィ」

「余計なお世話アル!」

 

バカにするような笑い方に、何故だか安心する。 優しい沖田は調子が狂うから。

と思った矢先、目が合えば途端に細められる目。

 

「なっ…何ヨ!」

「あ? なんも言ってねーけど」

「お前、ずっとおかしいアル! 中身誰かと入れ替わってないだろーナ!?」

「そりゃこっちの台詞でさァ。 ベタベタくっついてくるとか、旅行行く前のお前じゃ考えられねーし」

 

確かにそうだ。 ここ2日間の自分は大概おかしかった。 だから沖田もおかしくなったのだろうか?

どうして優しくしてくれるのか聞いてみようとして、慌てて口を閉じる。 これ以上は求めないと決めたはずではないか。 神楽がもっと大人になるその時まで、男女の垣根を超えた今の絆を大切に育んでいければ、それでいいと。

でも…今だけのこんな甘い時間も、もう終わりを告げようとしている。 せめて帰り着く最後の瞬間までは、こうして甘えていたかった。

 

「まぁ、いいけど。 とりあえずもう寝ろィ。 明日の朝も食いまくるんだろ?」

「沖田…」

「ん?」

「一緒に…寝ちゃダメ?」

 

そっと身体を離した沖田の浴衣を摘んで、お願いしてみる。これはあくまで決して恋人のような雰囲気になりたくて言っているわけではなく、子供にする添い寝のようなものを求めているだけだ。 それ以上は望まない。

 

「………添い寝するだけだろ?」

「っ! う、うん!」

「お前が寝るまでだからな。 あと必要以上にくっつくなよ。 いいか、絶対くっつくんじゃねーぞ」

 

必死に言い聞かせてくることに違和感はあったが、許してもらえたことがすごくうれしくて、何度も頭を縦に振った。

距離を取るように布団の端に入ってきた沖田に、そっと手を伸ばしてみる。 遠慮がちに握り返された手に、ニヤけてしまった。

 

「沖田……ありがとネ」

「はっ? な、なんだよ急に」

「連れてきてくれたのも、いろんなもの食べさせてくれたのも。 話聞いてくれたのも、抱きしめてくれたのも…。 全部、うれしかったアル」

「は、頭でも打った?」

「失礼だナ。 お前が言ったんダロ、まだ遅くないって。 上手くお礼も言えなくて、かわいげねーなって思われてたかもしれないけど」

「…んなこと言ってねーけど」

「本当は旅行中、ずっと感謝してたアル。 だから、ありがと。 それと、さっきはツンツンしちゃってごめんネ」

「っ~~。 素直なお前とか、マジで調子狂うから…」

「でもお前がムカつくのは本心アル。 調子狂わせたり、その無表情崩してやりたいって常日頃から思ってるから…ザマーミロって感じネ!」

 

クスクス笑ってやれば、頬を抓られた。 代わりに握っていた手に力を入れてやれば、上がる悲鳴に込み上げる笑い。

じゃれ合っているうちに空いていた距離が縮まっていた。 気づいた沖田がピタッと動きを止める。 その隙に、そっと胸に寄り添ってみた。

 

「チャイナ…。 てめェ…絶対くっつくなって…」

「今日だけ。 今日だけだから…。 沖田、お願いアル…」

 

勇気を出してお願いしてみる。 暗がりでも沖田の瞳に動揺が走ったのがわかって、やっぱりこの気持ちは受け入れてもらえないのだと悟った。

女として見てもらえなくてもいい。 近所のお兄ちゃんと生意気なクソガキぐらいの関係性でもいい。 ただ今だけは、この人を独占したい。

 

そのうち諦めたのか、沖田の手がそっと背中に回ったのを感じて、胸がきゅっと疼いた。 うれしさと切なさが同時に押し寄せてくる。

神楽はもう、沖田の腕の中が何よりもあたたかいのだということを知っている。 割り切ったところで、好きという感情が消えてくれるわけではない。 ちょっぴり目尻に浮かんだ涙を、目の前の広い胸で誤魔化すように拭って。 ぬくもりを抱えながら眠りについた。

   

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