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視界の隅々まで雲ひとつない青空が広がり、緑の薫りを乗せて心地良く吹き付ける風が頬を撫でていく。

 決戦の日は文句のつけようがない最高のデート日和であった。

 

 沖田と神楽は電車に揺られていた。

 沖田は機嫌悪く黙っており、神楽はそんな沖田を特に気に止めず、対面の窓から流れゆく景色をニコニコと眺めている。

 

(……算段が狂った。初っ端から劣勢じゃねぇか)

 

 本当は車で迎えに行くはずであった。沖田は確かに、真選組の覆面用車両を一台借用する届を出していたのだ。だが、今朝駐車場に行ってみると、車両は全部出払っていて空っぽ。

 聞くところによると、昨夜、不法就労天人の隠れ家を摘発したらしい。一棟のアパートの中に、ビザ無しの天人が何百人も犇めきあって潜伏していたらしく、昨夜から現在に至るまで該当者たちの護送が続いており、全車両が出払っているとのことであった。武力行使の必要がない案件であった為、沖田のところまで情報が回ってきていなかった。

 

「あと1時間程で1台戻りますよ」と、車両管理の隊士に言われ、ちらりと時計を見たが、それでは約束の時間には到底間に合わない。沖田の脳裏に読んだ雑誌の1行が浮かぶ。

『待ち合わせに遅れない』

 

 沖田はチッと舌打ちすると、若草色の羽織を翻し万事屋に向かって歩き出した。

 

 

 (チャイナのことだ、どうせ約束なんざ忘れて寝こけてやがんだろ…)

と沖田は寝癖頭の神楽が出てくることを予想しながら万事屋の呼び鈴を鳴らした。そして、出てきた神楽を前に沖田は絶句した。

 いつもは両サイドの雪洞に突っ込まれている髪が肩まで下ろされ、ゆるくふわふわにスタイリングされている。闘牛に使えそうないつもの赤ではなく、今日は薄桃色のチャイナドレスと、それに合わせたのか、花の刺繍が施された白いチャイナシューズを身につけている。

 『いつも』と大幅に違う神楽を前に、沖田はただ黙りこくった。

 

「何だヨ…?何か変アルか?」

「……別に」

 

  眉を垂れて沖田を見上げる神楽に、沖田はそう答えるのが精一杯だった。

 神楽の肩越し、ニヤニヤと笑う銀時が見え、沖田は軽く会釈する。

 

「暗くなるまでには帰してね、沖田くん」

 

 いつものように『総一郎』と名前を間違わない銀時に、沖田は「はい」と返事をした。

 


 

 神楽に「行くぞ」と言い、前を歩き始めた沖田だったが、ソワソワと落ち着かず気づけば早足で歩いていた。目的地の駅でハッと気が付いた沖田が後ろを振り返ると、神楽がやや小走りでついて来ていた。またも雑誌の文言が沖田の頭に浮かぶ。

『歩幅を合わせる』

 

 全く予習が生かされていない自分自身に苛立ち、沖田は眉根に皺を寄せた。追いついた神楽が沖田を見上げ、キョトンと小首を傾げる。

 

「どうかしたアルか?」

「……なんでもねぇ」

 

 いつもより澄んで見える2つの青を上手く見れず、沖田はフイと顔を逸らして切符を買った。

 

 そして現在。沖田と神楽は電車に乗り込み、入口ドア付近に横並びで座っている。

 今、沖田の機嫌を悪くしているものは周りの男共の視線だ。同じ車両に乗っている男達は、皆、チラチラと神楽に向けて視線を寄越している。ある者は本を読むフリをしながら、ある者は窓の外の景色を見る素振りをして、なんとか視界に神楽を入れようとしているのだ。

 それほどに今日の神楽は目立っていた。原石としても美しいものが、今日はピカピカに磨かれてしまっている。沖田は内心、車で来なかった事を酷く悔やんだ。

 向かい側に座る男などは、あからさまな視線を神楽のスリット部分に這わせている。それに気がついた瞬間、沖田は立ち上がった。視線を向ける男共にぐるりと殺気を込めた睨みを効かせ、男達の視線を遮るように神楽の目の前に立ち、吊革を握る。

 

「ん?どうしたアルか?」

 

 突然視界を塞がれ、神楽は不思議そうに沖田を見上げた。

 

「…あと3つ先の駅で降りんぞ」

 

 沖田はボソリと言い、神楽の背後で新緑の景色が流れ行くのを眺めた。



 

 目的の駅に降り立った沖田と神楽は、ゆるい山道を登り始めた。今度は神楽の歩幅に合わせ、沖田は神楽の隣をゆっくりと歩いた。

 頭上を覆う広葉樹の枝々がアーチを作り、手足を伸ばしたばかりの若葉の隙間から、陽光が柔らかく零れ落ちている。

 この程度の日差しなら夜兎の体でも問題ないらしく、神楽は持っている白い日傘を開かずに、ニコニコと空を見上げながら歩いている。沖田は、自分も同じように天を仰ぎながら、時折神楽を盗み見て歩いた。

 

 

「あちゃー。兄ちゃんたち、惜しかったね。あと1週間後に来れば良かったのに」

 

 辿りついたツツジ園の入口で、係員の老人が薄くなった自身の頭を撫でながら言った。

 なんでも山のツツジ園は市街地よりも気温が低く、少し遅れて開花するらしい。入口に植えてあるツツジの枝も蕾ばかりだ。筆先のようにふっくらとして、ピンと尖ったピンクの蕾を、神楽がじっと見つめている。

 

「ここじゃねぇぞ。目的地はあっちでぃ」

 

 沖田はポーカーフェイスを貫いているが、内側ではかなり焦っていた。今回のデートのメインになったであろうはずのツツジが見れなかった。どうにか誤魔化さなければ…と、次の目的地であるカフェレストランを目指すことにした。神楽は特に気にする様子もなく「うん!」と頷き、沖田に続いた。



 

『 妻が産気づいた為、臨時休業致します。』

 

 更に10分程歩いて辿り着いたお山のカフェ。その入口に貼られた紙を、沖田と神楽は見上げた。

 

「赤ちゃんが産まれるアルな!」

「……そうみてぇだな」

「無事に産まれたらいいナ!」

「……そうだねィ」

 

 とぼとぼと歩き出した沖田の後ろを神楽がスキップで歩きながら赤子の性別について気にしている。沖田は立てていた計画が全く上手く行かず、硝子の剣が粉々に砕けていた。ガックリと肩を落とし、沖田は来た道では無い細道を下っていく。神楽はその後ろを鼻歌を歌いながらついて行った。

 

 どのくらい歩いただろうか。しょぼくれた沖田の背中に、神楽が声をかけた。

 

「喉乾いたアル」

 

「あ?」と沖田は振り向いた。迷ってしまったのか、舗装道路からは随分外れ、店や民家のありそうな雰囲気では無い道に来てしまっていた。沖田がどうしたものかと周りを見渡していると、神楽が一点を指さした。

 

「なあ、あの水、飲めるかナ?」

 

  山の岩肌から小さく流れ落ちる水があった。蒲鉾板の裏側に書かれた手書き文字で『湧き水。ご自由にどうぞ』と書いてある。

 神楽は近づき、両手で掬って口に運んだ。

地中で磨かれ冷やされた水がまろやかに神楽の喉を潤す。

 

「美味っっしいアル!!」

 

 弾かれた様に神楽は沖田を見上げた。薄くグロスを塗られた唇が、水に濡れて光っている。大喜びで湧き水を掬い続ける神楽を、沖田は黙って見ていた。すると神楽は、水を掬った両手を沖田の目の前にズイと差し出した。

 

「ホラ!!オマエも飲んでみろヨ!!」

 

 沖田は無邪気な神楽の瞳と水の溜まった小さな手を交互に見た。

 

「いや、いい。自分で…」

「イイから!!ほら!!」

 

 尚も差し出す神楽の手を、沖田の手が戸惑いつつ引き寄せる。そして神楽の両手の器に溜まった水に静かに口をつけた。口当たりの良い透明の液体がさわやかに沖田の喉を通りすぎる。

 

「ね?美味しいデショ?」

 

 眩しく輝く青に目を細めながら、沖田は「…あぁ」と答えた。


 

 二人が更に山道を下ると、突然木々が途切れ、目下に段々畑が広がった。

 

「ふわぁぁぁああああ」

 

 神楽が感嘆の声を上げる。

 棚田のひとつひとつにれんげ草が咲き乱れ、景色をピンクに染めていた。圧巻のパノラマを前に、神楽はぴょんぴょんと飛び跳ね、立ち尽くす沖田の顔を覗き込んだ。

 

「オマエ、これを私に見せたかったアルな!!最っっ高に綺麗アル!!」

「……おぅ」

 

 沖田は小さく答えた。

 空の青とれんげ草の絨毯。それらを包みこむ山の緑。そしてそれらに引けを取らない程に、神楽の横顔は美しかった。

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